クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

十字架を探求する

 すでに亡くなられましたがマルチン・ロイド・ジョンズというイギリス人の牧師がいます。この牧師の著作はいくつか訳されており日本語でも読めます。私は彼の『The Cross(十字架)』をメモを取りながら読み終えました。彼はこの本の中で讃美歌を引用するのです。その中にチャールス・ウェスレーの詩があります。ちなみにチャールス・ウェスレーの兄は、メソジスト教会を創立したジョン・ウェスレーです。

 私はジョンズ牧師がなぜ、讃美歌を引用するのかと考えます。もちろんそれは十字架の恵みを伝えるからに他なりませんが、それ以上の理由があると思います。

 ジョンズ牧師は『The Cross』の中で、十字架を探求することを勧めます。そうしないと十字架の恵みを心で受け取ることができないのだと私は考えます。ウェスレーの詩はその探求に役立つのではないかと私は思いました。ウェスレーの詩はこう始まります。

And how can it be that I should gain
An int'rest in the Savior's blood?

私が救い主の血に関心を持つなんて、
そんなことがありえるのだろうか?

 教会の礼拝に通い、いつの間にかキリストの十字架のおかげで救われたことを信じるようになった私です。詩人のような驚きは、私にはありませんでした。それは言い換えると十字架の救いの恵みを、その深みから味わっていないのではないか、と思わされるのです。ジョンズ牧師は探求しなさいと語ります。

 私たちの使っている『讃美歌』にもウェスレーの詩がいくつもあります。詩を訳した讃美歌の歌詞もすばらしいですが、もとの英語の詩で読み、福音に感激した詩人の気持ちに触れることは、探求につながるのではないかとの思いに導かれているこの頃です。

And how can it be that I should gain という讃美歌は讃美歌第二篇230番です。この詩の5番を紹介します。

罪に対するどんな責めも私は恐れない。
イエス、そして彼のうちにあるすべてのものは私のもの。
私は彼に結ばれて生きる。彼は私の生ける頭(かしら)
私は神の義をまとって
永遠の御座に大胆に近づき
そしてキリストを通して私が受け取る冠を要求しよう

十字架の恵みを知ったら、こんな言葉が生まれてくるのです。

f:id:holala:20211025205937j:plain

オオマツヨイグサ 8月撮影 雌しべが・・