コリント二 8章9節
あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。
この聖句を思いめぐらしながら、自分はどのように豊かにされたのか、それを確認したいと思いました。信仰を持つ以前の私、信仰を持った後の私、それぞれの私を思いながら、自分はイエス・キリストのおかげでどのように豊かにされたのか、顧みることは有益であると受けとめました。今日は第一回。「他者(ひと)の気持ちを大切にする心」が少しは豊かにされたかなと思います。
若い時から、私は自分が生きるのに精一杯で他者の気持ちを大切にするという考えはほとんどなかったように思います。結婚しても、牧師になっても、子どもが与えられても、変わりはなかったように思います。他者の気持ちを大切にするという発想がなかったと思います。自分はすべきことをする、このことを大切にしていたように思います。失礼な振る舞いをして他者に不愉快な思いを与えるようなことはしないという礼儀はもちろんわきまえていました。
人生の中でかなりつらかったことは、「あなたは人の気持ちが分からない人だ。それはあなたが自分の気持ちを大切にしていないからだ」と批判されたことです。牧師になって10数年以上過ぎていた頃にです。これはかなりショックで考えさせられました。自分の気持ちよりも何をすべきかを優先させていたので考えさせられました。そして自分の気持ちを考えるようにし、他者(ひと)の気持ちを考えるように努力してきました。私の鈍い心に対して、神さまは人を介して強烈なパンチを私に与えたのです。どれほど成長したのかは分かりませんが、他者(ひと)の気持ちを大切にする心は少しは豊かにされたと思います。
自分は何を豊かにされたのか考えたとき、これが一番最初に思い浮かびました。