クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

聖書を読む生活(6)分かち合う

1.私の経験から

 教会には週の半ば、聖書を学び祈る会があります。私が属する日本キリスト教団の教会では、聖書研究(聖研)祈祷会とか祈祷会とか、呼びます。多くの場合、決められた聖書箇所を読み、その箇所について牧師が解説し、その後参加者から質問や感想が語られ、その後、教会の課題について参加者で祈ります。

 私はこの会の持ち方について色々試行錯誤した末に最後にたどりついたのが分かち合いを中心とする聖書の学びです。

 会の初めに司会者が祈り、聖書の箇所を読みます。数分ほど静かに各自が聖書を読みます。その後、聖書を読んでの感想や疑問を自由に語り合います。牧師の私はじっと聞いています。自由な発言を大切にします。

 最初の頃は、活発な話し合いにはなりませんでした。自分が発言すると人からどう思われるのかと気になり、発言できないのです。場合によっては「それは間違っていると思いますよ」などと他の参加者から言われると発言する意欲が失せます。

 そこで他の人の発言を批判したり、間違っているなどと否定することは禁じます。人に教えようとする発言もやめます。また他者の発言をその場にいない人に語ることも禁じます。要は、互いに自由に発言し、受け入れ合うのです。人はそれぞれの人生を生きており、聖書の言葉についての感じ方、受けとめ方もそれぞれです。正しさを求めるのではなく、互いの発言を受け入れ、互いの生き方を知り、受け入れるのです。そこに信仰者の愛の交わりが生まれていきます。

2.分かち合いから得られるもの

(1)聖書の理解の深まり

 参加者が聖書を読んでの感想を互いに分かち合います。それを聞いていると時に自分の理解の仕方は違っていたのかな、と思い、自分の理解を修正します。あるいは他者の発言に教えられ、自分の理解が深まります。自分の発言が他者の理解に役立つことがあります。参加者が分かち合うことによって、互いに教え合い、理解が深まります。そして聖書を読む喜びが湧いてきます。相互の愛が芽生えます。これが教会です。

コロサイ 3:16
キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。

(2)聖書の勝手読み防止

 牧師の中には、教会員(信徒)が聖書を読むことを積極的に勧めることをしない人がいます。つまり信徒が聖書の勝手読みをして、間違った理解をしかねないと恐れるのです。そこで牧師は聖書の解説を自分が行い、理解しましたか、何か質問はありませんか、となります。感想はありませんかと言われても、何か言ったら、それは違いますよと言われることは目に見えていますから、参加者の発言は余りありません。質問すれば自分の理解力が乏しいように思われます。

 先に述べたように、分かち合いは勝手読みを防止し、なおかつ聖書を読む喜びを参加者に与えます。参加者が聖書を読むことに習熟していきます。

(3)礼拝説教への貢献

 参加者の発言を聞いていると彼らがどんなことを考えているのか分かります。聖書をどのように読み理解しているかが分かります。参加者の信仰の前進のために何が必要かが分かります。羊を養う羊飼いとして、羊が何を必要としているのかが分かります。これはとても有意義なことです。牧師の説教の向上に有効となります。
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分かちあいのルール
・他者の発言を否定、批判しない
・人に教えようとしない
・分かち合いの場で話されたことはその場にいない他の人に話さない
・自由に発言できる雰囲気を壊さない

ヤマボウシ 散歩道