キリスト者になったからといって、心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、神さまを愛することができるわけではありません。それどころか、このように神を愛することは不可能にさえ思えます。しかしキリスト者は、聖霊によって神の愛がその心に注がれています。
イエス・キリストを信じない人には、神を愛する心はありません。神を愛する心は0(ゼロ)です。しかしキリスト者には神を愛する心が与えられています。仮にその量を1とします。0と1の差は限りなく大きいのです。0をどんなに足しても0のままです。0が1になる、それは無から有を創り出すようなものです。聖霊の働きが、神を愛する心をキリスト者のうちに創り出します。キリストによる救いの恵みです。
神を愛する心は、神の御心を行うことを喜びます。神の教えに従うことを喜びとします。そして御心を行うと神を愛する心が大きくなります。キリスト者は、神の御心を行うことにより、神を愛する心が大きくなっていきます。つまりキリスト者は愛において成長するのです。その成長は聖霊の助けとキリスト者の努力によってもたらされます。
するとキリスト者は次の聖句にアーメンと言うようになります。
ヨハネ一 5:3
神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。
キリスト者の皆さん、これまでの歩みを振り返ってみて下さい。神の御心を行うことを喜びとする心があなたの心にあるのではないでしょうか。神さまの教えを喜んで守りたいとの思いがあるのではないでしょうか。まったくありませんか。全然ありませんか。礼拝を大切にするのは、神さまを愛しているからではないでしょうか。今、自分には神さまを愛する心があると気づき、自覚していいのではないでしょうか。それは聖霊の働きです。救いの恵みです。