捕らえられたイエスは、最高法院で裁判を受けることになりました。イエスに言葉が投げられます。
22:67
「お前がメシアなら、そうだと言うがよい」
これに対してイエスは、
22:67
「わたしが言ってもあなたがたは決して信じないだろう」
と答えます。つまりイエスは、御自分がメシアであるか否か、答えませんでした。この後「お前は神の子か」と議員から尋ねられますが、この時もイエスは明確な返事をしませんでした。
なぜか。イエスは、最高法院の議員たちとは信仰の対話ができないことを知っていたからです。彼らはイエスを死罪に追い込むことしか考えていません。彼らはイエスを死罪に追い込む言質を取ることしか考えていません。
22:67
「わたしが尋ねても、決して答えないだろう」
もしイエスが「私はメシアである」と語り、さらに「あなたがたは私を信じるか」と聞くなら、彼らは「答えない」ことをイエスは知っています。信仰の対話をするつもりは最高法院の議員たちにはないからです。
イエスを死に追い込む言質を取ることしか考えていない最高法院に対して、イエスは明確な答えを拒否しました。しかし自分が何者であるかを語りました。
22:69
「しかし今から後、人の子は全能の神の右に座る」。
イエスは、地上で果たすべき働きを終えて、天の父なる神のもとに帰ることを明確に語られました。
最高法院の議員たちの作戦にはのりませんが、しかし自分が何者あるのかを証ししました。自分は神の右に座ることになると語りました。自分は神の子であり、メシアであることを語ったことになります。
証しをして父なる神のもとに帰ろうとする主の姿を見る思いがします。死は人生の終点ですが、キリスト者にとっては、神のもとに帰るための通過点であることをイエスから教えられます。