クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

限りある人生(4)信頼と従順

 キリスト者、クリスチャンの歩みは、本来一つの道を歩むものであると信じます。それは「キリストに倣う」という道です。

コリント一11:1
わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい。

 パウロは自分がキリストに倣う者であることを語り、コリントの信者に「わたしに倣う者になりなさい」と命じました。それはわたしに倣うことを通して、キリストに倣う者となりなさいとの命令です。


 イエスもわたしに従ってきなさいと教えられました。

マタイ 16:24
それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。

 イエスに従うとは、イエスに倣うこと、キリストに倣うことです。キリストに倣う歩みをするとはどういうことでしょうか。

 キリストに倣うとは、キリストが十字架の死に至るまで神に従順に歩まれたように、神に信頼し神に従順に歩むことであると考えます。

 キリスト者はそれぞれ生きる場が与えられています。それぞれ異なる賜物を与えられています。置かれた場所で限られた人生の中で神に信頼し従順に歩みを全うする、それがキリスト者の生涯といえるのではないでしょうか。

 このように歩んだ人は必ずや、神を慕わしく思うのではないかと想像します。神を知り、神を崇め、神を慕わしく思う信仰者の歩みをして、キリスト者は神のもとに迎えられるのではないかと考えます。

 私の好きな、パウロの言葉を紹介します。

フィリピ 1:21~23
わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。
けれども、肉において生き続ければ、実り多い働きができ、どちらを選ぶべきか、わたしには分かりません。
この二つのことの間で、板挟みの状態です。一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。

 この世を去ってキリストと共にいたいと熱望する、こんな境地になりたいです。

タンポポ 馬見丘陵公園