クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

限りある人生(3)神を知り、神を崇める

 人間は神に造られた被造物です。神は真剣な思いで人間を創造されたと信じます。いい加減に、面白半分に創造したのではなく、明確な意図、計画を持って創造されたと信じます。

 人は何のために生きるのか、多くの人は考えます。人それぞれの答えを出しますが、なにが正解なのか分かりません。正解があるとも思えません。神が人を創造されたことを信じるなら、神が何のために人を創造したのかを知れば、自ずと生きる意味が分かります。

 人間を創造した神の目的は旧約聖書を見れば分かります。特に出エジプトの出来事によって知ることができます。神はエジプトで奴隷状態だったイスラエルの民を救いだし、自由に生きることのできる土地へ導きます。その途中、シナイ山の麓で神はイスラエルの民と契約を結びます。

 神は「私はあなたたちの神となる」と約束しました。イスラエルの民は「私たちはあなたの民として生きていきます」と約束し、神の戒めを守ることを約束しました。神とイスラエルの民は互いに関わって生きていきます。ここに人が生きる目的が示されています。

 人が造られた目的は、神と関わって生きることにあります。人間にとって生きるとは、神と関わって生きること、神との交わりに生きることにあります。言い換えると信仰に生きることにあります。

 イスラエルの民は、自由に生きることのできる土地を目指して荒野を旅しました。彼らにとって神との関わりに生きるとは、荒野の旅において神に信頼し、神に服従することでした。特に彼らには十戒が与えられており、彼らを救い出した神以外のものを神としてはならないとの戒めが与えられていました。残念ながら、イスラエルの民は神との関わりに生きることに失敗しました。神に信頼せず、神に従うことをしませんでした。

 キリスト者は教会に連なり、神を礼拝し、神に信頼し、神に従い、生きていきます。人それぞれ生きる環境、生きる場は違いますが、神に信頼、神に従う歩みをすることは共通です。

 この歩みは何を目指しているのでしょうか。それは神を知ることです。神を知り、神を崇めることです。なぜこのことが大切で必要なのでしょうか。神の国は、神を知り、神を崇める人たちの住まいだからです。

 神を知り、神を崇めるとは言い換えると神を愛することであり、キリスト者は神の国に迎えられ、顔と顔を合わせるように神を見、至福に至るのです。こう私は信じています。

 私たちは神を知り、神を崇める歩みを目指す「限りある人生」を生きるように召されていると信じます。

白梅 馬見丘陵公園