昨日の夜の祈祷会は新年最初の祈祷会でした。司会する牧師から、新年の抱負を分かち合いましょうと提案がなされ、参加者がそれぞれ話されました。
私は「老いた私には、今さら新年の抱負などありません」と話しました。どうしてそう思うのか、その時はうまく話せませんでしたが、今だったら、こう話したいと思います。ある人が、店を開店させたとします。新年の抱負は、その店が繁盛することにあります。しかし老いた者は、店の経営が思うように行かず閉店を決定した店主に似ています。閉店を決意した店主に新年の抱負はありません。老いた人は人生をいかに終えるかを考える立場にあります。なかなか抱負と呼べるものはありません、と。
さらに「朝起きると、今日も一日生きなければならないのか、と思うこともあります。新年を迎えたからといっても、複雑な思いです・・・」というようなことを話しました。
今日夕食の時、壁に貼ってある紙を見ました。そこには聖句が書かれていました。
フィリピ 3:13~14
兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、
神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。
目標目指してひたすら走る、これは新しい年も追求すべきことです。新しい年の抱負とすべきことです。でもすっかり忘れていました。
聖句を掲げるのはよかったと思います。でもどんな目標を目指すのか、具体的に考えなかったので、忘れる結果となってしまいました。
- 今年の目標。ローマの信徒への手紙を今年も学ぶ。