クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

クリスマスの恵みを考える(4)

 かつて私は自分の愛が薄いことを思い知らされたことがあります。他者のために犠牲を払うことにためらいを覚えるからです。他者のことより自分を優先する思いが自分にあることを自覚したクリスチャンは、自分の愛の薄さを知っていると思います。神の愛が深いと表現した場合、神の愛はどれほど深いのでしょうか。聖書に手がかりを求めます。

ヨハネ 3:16
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。

ヨハネ一 3:1
御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。

 この二つの聖句は、神の愛がどれほどのものかを語っています。神さまがこの世を、つまりこの世に生きている人間を愛していること、あるいはイエス・キリストを信じる人が神の子と呼ぶほど愛しておられると書かれています。

 これらの聖句を読んでも神の愛はどれほどのものなのか、よく分かりません。神の愛の深さ、残念ながらそれは私たちには分かりません。

 たとえで考えてみます。私たちは自分の力で海の深さを知ることができるでしょうか。海に入り沖に向かって歩いて行きます。足が海の底についている限り、海の深さは分かります。しかしいったん私たちの背より深いところに行けば、海の深さは私たちの身長より深いことは分かりますが、どれほど深いのかは分かりません。まして沖合に出れば、海の深さを知ることはできません。

 神の愛はどれほどのものなのか、聖書は私たちに想像するように促しているように思います。それは聖書を読み、神の愛を探求することだと思います。この探求にチャレンジしてみたいと思います。

 クリスマスの恵み、それは私たちを愛してくださる神がおられることを知る恵みと表現したいと思います。

 

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