クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

迫害する者のために祈りなさい

 敵を愛しなさいに続いて、迫害する者のために祈りなさいと主イエスは教えます。迫害する者を敵と見なせば、彼は私を攻撃しているのです。自分を攻撃する敵のために祈りなさいと命じられます。

 迫害する者は、迫害することが自分の使命であると考えています。迫害する者は正しいことをしていると考えています。かつてパウロはクリスチャンを迫害していました。それは神に対する熱心さからの行動であったとパウロは告白しています。やがてキリストを宣べ伝えるようになったパウロは迫害される者となりました。

 迫害する者もまた人間であり、私とは立場が違います。立場が違う人間であることを認識することは必要です。勿論、迫害という相手の行動を容認することはできません。しかし迫害を受ける中で相手のために祈りなさい、と命じられます。

 祈る前に、自分の反応として、時に相手を憎むかもしれません。相手に対して否定的な感情を抱くことがあるかもしれません。その時、そのような思いに心が支配されることはよくないと考えます。

 迫害とは言えませんが、人から中傷されたり、悪口を言われたり、陰で非難されていたことを知るときがあります。自分に対してひどいことを言う人のために祈りなさいと主イエスは命じておられると考えることができます。
 迫害する者のために何を祈るのでしょうか。迫害することは間違いだから、それに気づくように私は神の導きを祈ります。また彼がなんで迫害するのかも考えます。もし自分に何か悔い改めるべき点があれば、悔い改めます。
 主イエスは神に、自分を十字架につけた者たちのために祈りました。

ルカ 23:34
そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」。

 私には想像もできない祈りです。神の裁きのあることを覚えての祈りであり、迫害する者が裁かれないようにとの執り成しの祈りです。迫害する者たちが悔い改めに導かれることを願う祈りです。
 パウロはロマ書12章で復讐は神に任せなさいと教えており、悪には善で勝つように教えています。私たちも主に倣い、迫害する者のために、神の赦しを祈ることを大切にしたいと思いました。

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