昨日、詩編4編を思いめぐらしました。この詩篇は若い頃に読んだとき、8~9節が心に残りました。
8~9節
人々は麦とぶどうを豊かに取り入れて喜びます。
それにもまさる喜びをわたしの心にお与えください。
平和のうちに身を横たえ、わたしは眠ります。
主よ、あなただけが、確かに
わたしをここに住まわせてくださるのです。
農業に従事する人には、実りを得ること、収穫は大きな喜びだと思います。どういうわけか、私の心は目に見えるよりも目に見えないものに喜び、幸いを見出すようになっていました。若い日に生きることのむなしさを覚えたからだと思います。
この詩篇の言葉は、新共同訳聖書の言葉です。口語訳、最近の聖書協会共同訳の言葉は、私の心に留まりません。新共同訳の言葉が心に入ってきます。最初に読んだときの印象があるからかもしれません。
新共同訳聖書でこの詩篇を読んだときは、すでに牧師になっていました。私には牧師になりたいという思いはまったくありませんでした。憧れはありましたが、人間関係が苦手な自分には向いていないと思っていました。しかし神さまの導きにより牧師になりました。
そしてあらためて思います。神を信じ、神と共に生きる、あるいは神に生かされる、それが私の喜びなのだと。
ある時、超教派の集会に参加しました。その集会で、聖書の読み方を学びました。一人の信仰者として聖書を糧として読む読み方です。その方法をデボーションと呼んでいました。それを学んだとき、これだ! と私は思いました。それ以来、今日に至るまで20数年、デボーションを続けてきました。私にとってはこれが神さまとの交わりでした。
平和のうちに身を横たえ、わたしは眠ります。
平和のうちに眠ることができる日々を多く過ごしてきました。目に見えない喜びであり、神さまの恵みです。