証し
福音は力と聖書にあります。この力は私にどのように働きかけたのか、振り返りました。
きりすとしゃのじんせいをひところでいえば、旅。神の国を目指す旅です。そのことを教えてくれるのが出エジプトの出来事です。
年老いた私が「わたしについてきなさい」とのイエス様の声を聞きます。どのように生きたらよいのか思いめぐらしました。
聖書を通して私を導いてくださった神さまを何と呼んだらいいのか。
牧師になった最初の年、神さまはある光景を私に見せてくださいました。とても大切なことをその光景を通して教えられました。
中島みゆきさんの『 ヘッドライト・テールライト』を最近よく聞きます。NHKプロジェクトxという番組で歌われました。
私の牧師人生は、多くの人との出会いに支えられています。この出会いを神さまが与えてくださいました。
幼い日、私の人生に暗い影が落とされた。そこから私に対する神の導きが始まりました。
パウロは「わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように」と神をたたえました。
教会における信仰の継承とは何でしょうか。信仰の証しを行い互いに信仰の成長をする仕組みを考えてみませんか。
肉の思いに勝利し、罪に打ち勝つために必要な二つのもの。信仰の決断と、御言葉を喜ぶこと。
神の教え・戒めは何のために与えられているのでしょうか。それは私たちの祝福のためだと考えます。
神の栄光を現す、これはキリスト者の生きる目的です。老いて、この課題に取り組む思いに導かれました。
「へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え」と聖書にあるので、私より妻が優れている点を列挙してみました。
愛はねたまない。なぜねたんではいけないのか。でもねたみの感情は湧いてきます。
人が「私は生かされている」と語るのを聞きます。でも神を信じる私は、生かされているという思いはありません。神を信じているのに。
試練に直面したとき、それは信仰に生きるときであり、不信仰にお通るときです。どちらを選ぶのか。
手術を前にして澄みきったような平安が心を満たしました。すべてが整えられ、神さまにゆだねることができました
「しなければいけない」世界、律法の下にある信仰者の歩みから自由になった話しです。
イエスは真の神そして真の人。このイエスは私にどんな励ましをもたらすのでしょうか。
御言葉によって生きる方法としてのディボーションを知ったことは、私の信仰者人生の財産です。
あなたがたは地の塩である。世の光である。これはクリスチャンのアイデンティティーです。
これぞ福音。 御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。 (コロサイ1:13~14)
神が用意してくださる最善の人生に生きるために、神の導きを求めて生きていきたい。
心が震える経験。頭で生きている者でも、思いがけなく心が震えました。
横浜にいる長男夫婦の一人娘(中一)をあずかっての一週間の生活をしました。長男夫婦はテレワークのできない部署で働いています。
イエス様は祈りの中で「あなたの栄光を現しました」と祈られました。イエス様に倣い、私もこのように祈りたいと思いました。
私はなぜ聖書を読み、礼拝をささげ、説教をするのか。私の心の動機は?
イエス様というぶどうの木の枝である私が結んだ実は何か。振り返ってみました。
私が自分の死を受け入れる理由。