クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

証し

神をたたえる言葉を見つける(2)

幼い日、私の人生に暗い影が落とされた。そこから私に対する神の導きが始まりました。

神をたたえる言葉を見つける

パウロは「わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように」と神をたたえました。

教会内での信仰の継承

教会における信仰の継承とは何でしょうか。信仰の証しを行い互いに信仰の成長をする仕組みを考えてみませんか。

肉と霊の戦いに勝利する

肉の思いに勝利し、罪に打ち勝つために必要な二つのもの。信仰の決断と、御言葉を喜ぶこと。

神の教え・戒めの受けとめ方

神の教え・戒めは何のために与えられているのでしょうか。それは私たちの祝福のためだと考えます。

神の栄光を現すために

神の栄光を現す、これはキリスト者の生きる目的です。老いて、この課題に取り組む思いに導かれました。

妻が私より優れているところ

「へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え」と聖書にあるので、私より妻が優れている点を列挙してみました。

愛はねたまない

愛はねたまない。なぜねたんではいけないのか。でもねたみの感情は湧いてきます。

私は生かされているのか

人が「私は生かされている」と語るのを聞きます。でも神を信じる私は、生かされているという思いはありません。神を信じているのに。

神への信頼を形に

試練に直面したとき、それは信仰に生きるときであり、不信仰にお通るときです。どちらを選ぶのか。

澄みきった平安

手術を前にして澄みきったような平安が心を満たしました。すべてが整えられ、神さまにゆだねることができました

私は律法の下にはいない 私の場合

「しなければいけない」世界、律法の下にある信仰者の歩みから自由になった話しです。

真の神であり、真の人であるイエス

イエスは真の神そして真の人。このイエスは私にどんな励ましをもたらすのでしょうか。

ディボーションの恵み

御言葉によって生きる方法としてのディボーションを知ったことは、私の信仰者人生の財産です。

地の塩・世の光

あなたがたは地の塩である。世の光である。これはクリスチャンのアイデンティティーです。

あらためて福音を知る

これぞ福音。 御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。 (コロサイ1:13~14)

明日を導かれる神

神が用意してくださる最善の人生に生きるために、神の導きを求めて生きていきたい。

自分の心に驚く

心が震える経験。頭で生きている者でも、思いがけなく心が震えました。

イエス様から遣わされる

横浜にいる長男夫婦の一人娘(中一)をあずかっての一週間の生活をしました。長男夫婦はテレワークのできない部署で働いています。

神に栄光を

イエス様は祈りの中で「あなたの栄光を現しました」と祈られました。イエス様に倣い、私もこのように祈りたいと思いました。

心のうちにある動機

私はなぜ聖書を読み、礼拝をささげ、説教をするのか。私の心の動機は?

イエス様につながり結んだ実

イエス様というぶどうの木の枝である私が結んだ実は何か。振り返ってみました。

自分の死を受け入れる理由

私が自分の死を受け入れる理由。

一年後、この世にいないとしたら

『もしも一年後、この世にいないとしたら』という書名の本についての思いあれこれ。

罪からの解放・自由(4)

罪とは何でしょうか。 神の教えに染むことです。 神をないがしろにする心です。

罪からの解放・自由(3)

誘惑に打ち勝つことは大切なことですが、むずかしいことです。しかし神さまの御心を大切に思うとき、誘惑から解放されていきます。

わたしの魂が慕うのは

詩編86編4節の言葉をめぐって。「わたしの魂が慕うのは/主よ、あなたなのです」。

聖なる者、汚れのない者

神さまのご計画は、私たちが聖なる者、汚れのない者になること。

主われを愛す(1)

主われを愛す。クリスチャンならだれもが知っています。主の強さを知る人は幸いです。

神との交わりに生きる

信仰に生きるとは神との交わりに生きることです。このことを少し具体的に考えました。