クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

わたしの魂が慕うのは

 昨日、祈祷会に出席しました。詩編86編を読みました。この詩編は詩人の信仰告白と詩人の信仰的な姿勢が明確に歌われています。つまり詩人の信仰者としての意志を私は感じました。私は神をこのような方と信じます、私は神に対してこのように生きていきます、と。一つだけ、あれっと思ったのが4節の言葉です。

あなたの僕の魂に喜びをお与えください。
わたしの魂が慕うのは/主よ、あなたなのです。

 この「慕う」という言葉は、意志的というよりも感情的な表現・態度だと思いました。ある女性の参加者が、心に残った言葉として、この4節を指摘されました。共感されたのだと思います。

 少し時間をおいてから、私は「僕は、この慕うという気持ちがよく分からないんです。男だからでしょうか」と発言しました。私は、神さまを慕うというよりは、神さまに従う、従順を尽くすという意志的な心のあり様のほうがしっくりきます。

 参加した他の女性たちも「慕う」ということはよく分かると語られました。他の男性たちは、私と同じように「慕う」という感覚は持っていないように見受けられました。男女の違いが現れているのかもしれません。

 私にはイエス様を「慕う」という思いも少ないです。私はイエス様を愛します。この場合の「愛する」は意志的です。私にとってイエス様を愛するとは、イエス様のお言葉を大切にし、イエス様に信頼して聞き従うことです。私にとってイエス様を愛するとは、イエス様の弟子になることということができます。

 詩編84編には次の言葉があります。

主の庭を慕って、わたしの魂は絶え入りそうです。
命の神に向かって、わたしの身も心も叫びます。

 こちらの「慕う」には共感できます。神ご自身を慕うのではなく、神の臨在を慕い求める求める気持ちが私にはあるようです。

 

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金木犀 いい香りがします。散歩道にて