昨日は和歌山県のG教会の説教奉仕でした。教会が無牧の2年間、月2回の説教奉仕をしました。教会はこの4月から牧会者を迎えることとなり、私の奉仕は昨日で終わりました。現役の牧師の時は毎週の説教で、説教に追われる感がありました。しかし月2回ですと準備にゆとりがあり、じっくり取り組めました。
心がけたことは、年配の方に励ましを与えることと、福音を伝えることです。ローマの信徒への手紙3章から8章まで説教できたことは恵みでした。福音とは何か、じっくり取り組むことができました。ロイドジョンズという英国の説教者のロマ書に関する本には深く教えられ感謝でした。
今私はヨハネ福音書を読み思いめぐらしています。17章はイエス様の祈りが書かれています。その祈りの中で、4節の言葉が心に残りました。
わたしは、行うようにとあなたが与えてくださった業を成し遂げて、地上であなたの栄光を現しました。
私たちは自分の行いについて謙遜になります。自分の行いが神の栄光を現している、などと口にしません。逆に口にする人に対して、うぬぼれている、と非難の目を向けるかもしれません。あるいは、それはあなたの思い込みでしょ、というかもしれません。
でもイエス様は、神さまが与えてくださった業を成し遂げて地上であなたの栄光を現しましたと祈られました。イエス様に倣うことを心がける者として、私もそのように祈ってよいのではないかと思いました。2年間神さまの前に誠実に祈りつつ準備をしてきました。ですから「この2年間、あなたの栄光を現してきました」と祈り、感謝し、神さまをたたえてよいのだと思いました。牧師として30数年奉仕することができたことについても、同様の祈りをしていいのだと思いました。
私たちはいい加減な気持ちで信仰生活を送っているわけではないので、「神さまに栄光を与えることができました」と祈ってもよいのではないでしょうか。人に対して語るのではないので、自慢になりませんし、高慢にもならないと思います。むしろこのように祈れることを神さまの導きと感謝し喜びたいと思います。自分の信仰の歩みを喜ぶ、素敵なことだと思います。