昨日、ヨハネ福音書17章を読んでいて驚きました。発見がありました。日頃、伝道をどのようにしたらよいのか、聖書から教えられたいと祈ってきましたが、一つの答えと出会いました。その聖書とは次の通りです。17章20~21節。
また、彼らのためだけでなく、彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。
世は、神がイエス様をお遣わしになったことを信じるようになるというのです。この箇所の直前の14節にはこうあります。
わたしは彼らに御言葉を伝えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないからです。
彼らとは弟子たちのことです。イエス様は弟子たちにみ言葉を伝えましたが、世は弟子たちを憎んだのです。とすれば弟子たちの働きによってイエス様を信じるようになった人々を世は憎むことになります。しかし弟子たちの働きによってイエスを信じた人たちが一つとなり、イエス様との交わりを保つなら、世は、イエス様が神から遣わされたことを信じるようになるというのです。
イエス・キリストに結ばれた信仰者たちが一つとなるなら、この信仰者の群れに近づいた世の人々は、イエス様が神から遣わされたメシアだと信じるようになるというのです。教会が主にあって一つとなるなら、未信者の人が教会に来たらイエス様を信じるようになるとのイエス様のお言葉です。約束です。伝道の秘訣は、主にあって一つである信仰者の交わりにあります。このような交わりの形成が伝道の秘訣だとイエス様ははっきりと私たちに教えています。
伝道に近道はありません。急がば回れという言葉がありますが、伝道を急ぐなら、主にあって一つである信仰者の交わりの形成に取り組めばいいのです。これは喜ばしき営みです。ひと言で言えば、み言葉を分かち合う信仰者の交わりをつくればいいのです。困難なものではありません。いや、本来教会がなすべき営みです。使徒言行録2章42節。
彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。
私が最後に牧会した教会で、私はみ言葉を分かち合う交わりの形成に努力しました。信徒の人たちと共に行ってきた御言葉の分かち合いによる一つとなる努力は、イエス様によって祈られていたのです。イエス様に導かれていたのです。小さな実りも与えられました。感謝です。