クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

地の塩・世の光

 先週、マタイ福音書5章13~16節を思いめぐらしました。

「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。・・・あなたがたは世の光である。・・・あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである」。

 以前ある集会で、この箇所をテキストにして説教をしました。

 もしかしたら皆さんは、地の塩にならなければいけない、世の光にならなければいけないと考えていませんか。しかし聖書は、あなたがたは地の塩である。あなたがたは世の光である、と語っています。どう思われますか。あなたは地の塩なんです。世の光なんです。聖書はそう語っています。 

  その集会が終わってある姉妹から「私は地の塩にならなければいけない。世の光にならなければいけないと思ってきました。でも今日の説教を聞いて安心しました」と言われました。説教してよかったと思いました。

 その頃、私はクリスチャンのアイデンティティーについて学んでいました。私は自分のアイデンティティーを知ることによって自由にされました。キリスト者の自由を与えられました。アイデンティティーを知るまでは、地の塩にならなければ、という発想が心の中にありました。地の塩にならなければ、私はクリスチャンとして不十分な存在なのだとの思いがありました。

 また牧師として私はあれをしなければ、これをしなければ、私は牧師として不十分である、と考えていました。そして「あれができたから、これができたから、私は牧師としてこれでいいのだ」という満足感を持つことはありませんでした。いつも不足感がありました。そこには牧師とされた喜びはありませんでした。自分を責める思いと不満足感が心を占めていました。

 しかしイエス様は言うのです。

「あなたは地の塩です。世の光です」。

 私は地の塩なのです。世の光なのです。神さまは、私を地の塩としてくださったのです。世の光としてくださったのです。これを信じることが大切と教えられました。神さまは、おっしゃるのです。

  • 「あなたは地の塩です。世の光です。地の塩にならなければ、世の光にならなければなどという愚かな努力をする必要はありません。あなたは地の塩として塩味を失わなければいいのです。世の光として輝けばいいのです」。
  • 「私はあなたを牧師に選びました。だから牧師として働けばいいのです」。

 私は牧師として謙遜に、誠実に、そして忠実に生きればよいと知りました。そしてそれを喜びとするようになりました。クリスチャン、牧師という自分のアイデンティティーを知り、このアイデンティティーに生きることを喜べばいいと知りました。どれぐらい達成したのかは問題ではありません。アイデンティティーに忠実に生きればいい、そう私は考えています。

 

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