クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

罪人の再生に始まり(11)アイデンティティーに向き合うとき

 クリスチャンのアイデンティティーに向き合うことができるのは、それなりの期間信仰生活を送ってきた人ではないかと思います。信仰生活に入って間もない人は「クリスチャンとはこういう人のことをいうんです」と言われてもピンとこないと思います。

 日本の国ではクリスチャンは少数派です。家族全員クリスチャンという人は少ないと思います。自分一人だけクリスチャンという場合、家族から冷たい言葉を浴びせられることもあるかもしれません。「それでもクリスチャン」。そして信仰者の口から「私がこんなクリスチャンだから家族に伝道できません」という言葉を聞くこともあります。

 この国ではクリスチャンは少ないとはいえ、人々はクリスチャンに対する何らかのイメージを持っていて、クリスチャンを見ます。クリスチャン自身も、クリスチャンとはどういう人なのかイメージを持っており、そのイメージに照らし合わせて自分を見たりします。

 クリスチャンの「自己像」(セルフイメージ)が低いと、その人の周囲の人たちはクリスチャンになりたいとは思わないと思います。クリスチャンになりたいと思わせるものがないからです。逆にセルフイメージが高いと、何となく高ぶっている、偉そうにしているように見えたりして、やはり人々を信仰に引きつけることが難しかったりします。

 信仰に入って礼拝生活をし、説教を聞く、聖書を読む生活をして行く中で、私たちはセルフイメージをつくっていきます。それが健全であればいいのですが、そうでないとクリスチャンであることを喜べない、そんなことが起きてきます。

 そんな時、そんな人に、クリスチャンのアイデンティティーを考えて欲しいと思います。向き合って欲しいと思います。きっとクリスチャンのアイデンティティーを福音として受けとめることができるのではないかと思います。

 私自身長い信仰生活、牧師生活をして、クリスチャンのアイデンティティーにたどり着き、自分を受けとめることができて平安を与えられました。そして喜んで牧師の働きをすることができました。自分を誇ることなく、自分を卑しめることなく、生きることができるようになりました。

コロサイ1:21~23
あなたがたは、以前は神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していました。しかし今や、神は御子の肉の体において、その死によってあなたがたと和解し、御自身の前に聖なる者、きずのない者、とがめるところのない者としてくださいました。ただ、揺るぐことなく信仰に踏みとどまり、あなたがたが聞いた福音の希望から離れてはなりません。この福音は、世界中至るところの人々に宣べ伝えられており、わたしパウロは、それに仕える者とされました。

 

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コミヤマスミレ 春日山遊歩道で