クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

2024-01-01から1年間の記事一覧

天に行く馳場(はせば)

一日を生きる、それは消化試合のようなものと感じる心があります。そのような思いで今朝は目覚めました。

信徒だけの礼拝の可能性

牧師がいない信仰者だけの礼拝。そこにある恵みを想像します

聖書黙想 マタイ福音書 7章1~5節 人を裁くな

人を裁くな。イエスの教えです。私たちの心には自分を誇りたいとの重いがあるのでしょうか。

また失敗

オレオレ詐欺みたいな詐欺に自分は引っかからないと自認している人がだまされるという話しを聞きます。

礼拝説教 天のふるさと

死を越える希望を「教え」として受けとめるのではなく、 「神の約束」として受けとめるなら、うれしい希望となるのではないでしょうか。

詩編 第一篇 主の教えを喜びとし

歳をとり、残された時間が少なくなっていることを思います。それで詩編を通読し、昔の信仰者の気持ちに触れたいと思いました。今日は詩編の第一編を読みました。

説教奉仕で知る教会の現実

礼拝説教奉仕に行き、教会の存続について考えさせられる現実があります。

神の国と神の義

神の国と神の義を求めなさい。有名なイエスの言葉です。でもどういう意味なのでしょうか。

罪に満ちあふれた世界

私は近年、この世界が何と罪に満ちあふれていることかと感じます。あるいは罪がいかに人間を支配しているのかと思い知らされます。

教会の存続

説教奉仕で、いくつかの教会に生きますが、礼拝出席者が減少する中で、教会の存続という問題に直面します

神の御子 なぜ、なに(9)御子に似た者となる~私の場合

キリストに見倣う歩みをどのように実践するのか、私の場合の紹介。

神の御子 なぜ、なに(8)御子に似た者となる

キリストに見倣い、キリストに似姿を目指す、信仰者の目指す生き方です。

神の御子 なぜ、なに(7)神の戒めを守る

神の御子は、私たちが何を目指して生きるのか、その模範を示すという意味で、私たちに必要な存在です。

礼拝説教 御子に関する福音

ローマの信徒への手紙 1章1~7節 説教 神の御子に関する福音 5月12日礼拝説教の紹介です。

神の御子 なぜ、なに(6)新しく生まれる

人は洗礼を受け、キリストに結ばれます。そして新しい命に生きる者とされます。そして神の戒めを守ることができる人となります。

神の御子 なぜ、なに(5)罪の赦し

御子イエスの十字架の死。このしがなければ、人間の救いはありません。御子の死こそが人を救います。

葬儀に参列して

老いを生きる中で、聖書の言葉や讃美歌が心に新鮮に響くことがあります。今回葬儀に参加し、讃美歌が心に響きました。

神の御子 なぜ、なに(4)人間の救い

人間にとって救いとは、神を愛する人間となり、自分を愛するように隣人を愛する人間となることです。

神の御子 なぜ、なに(3)救い主、神の御子

神は世の初め、人間を造られるとき、人間が罪を犯すことをご存じでした。イスラエルの歴史を通して人間の罪が明らかになってから救い主を送るというのが神の計画でした。

訃報を聞いての思い

先日、先輩牧師の訃報を聞きました。ふと思いが与えられ、聖書を開きました。

神の御子 なぜ、なに(2)目標としての御子

新約聖書を読むと、信仰生活にとって御子の存在は大きなものがあります。

神の御子 なぜ、なに(1)

素朴な質問をするなら、神の子ってなに? 人間を救うのはなぜ神の子? 救い主は、神の御子だというのです。どういうことなのかと思案します。

目を開くイエス

目が遮られるとイエスのことが分からなくなり、目が開くと聖書のことが分かるようになります。目を開くのはイエスです。

生きておられるイエス(6/6)主を賛美する

主を賛美することを喜ぶ、それは私のうちに主イエスが生きておられるからではないかと考えるこの頃です。

信じる心と疑う心(5/5)対処法

疑う心に対する対処法。私の場合。信仰者としてのアイデンティティー。聖書の真理性。

生きておられるイエス(5)キリストと共にいる

この世を去ってキリストと共にいたいと熱望するパウロ。キリストが私のうちに生きておられるから私は願いを共有できる。

礼拝説教 約束された福音(ローマ 1:1~7)

「約束された福音」と出しての説教。聖書はロマ書1章1~7節。

生きておられるイエス(4)キリストに似た者となる

自分はなぜ、キリストに似た者となることを目指しているのか、目指してきたのか、それは私の内にイエスが生きておられるからだと理解するようになりました。

生きておられるイエス(3)イエスと結ばれて

信仰者としての自分の歩みを思うとき、自分の内にイエスがおられると自覚することは大切なことと考えるようになりました。

生きておられるイエス(2)御言葉によって生きる

私が神の言葉によって生きているとは、主イエスが私の内におられ、私の内に生きておられるということです。