クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

神の御子 なぜ、なに(8)御子に似た者となる

 私たちの救いに御子が必要な理由として、キリスト者がいかに生きるべきかを示すことにあると前回書きました。キリスト者は、罪から救われて生きていきます。罪に打ち勝って歩みます。神との交わりに歩み、神の戒めを守ります。これはキリストを模範として歩むとき実現します。御子はまことの人として神の前に歩みました。

 模範として歩むことには大きな意義があります。なぜならキリスト者が神の国に迎えられるとき、キリストに似た者とされるからです。このことはキリスト者の歩みをキリストの似姿を目指す歩みとする動機となります。

フィリピ 3:20~21
 しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。

 キリストが再臨されるとき、私たちはキリストの栄光ある体と同じ形に変えられるとあります。具体的にどのようなものかは分かりませんが、変えられます。どのように変えられるのか、楽しみです。

ヨハネ一 3:2~3
愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。御子にこの望みをかけている人は皆、御子が清いように、自分を清めます。

 御子が現れるとき、御子に似た者となるとあります。御子に似た者となるという望みを持つキリスト者は、世にある時、御子が清いように自分を清めるとあります。御子に似た者となることを信じる人は、聖なる者を目指す動機を与えられます。

コリント二 3:18
わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。

 キリスト者の歩みが栄光から栄光へと主と同じ姿に造り変えられていく、これは何と光栄に満ちた歩みであることか。このようなすばらしいキリスト者の歩みがあることを知ることは、私たちの歩みを励ますのではないでしょうか。主の霊の働きを受ける、光栄なことです。

讃美歌11番
こころをきよめて 愛をみたし、
わが主のみすがた 成らせたまえ

 罪を犯していた者が神の似姿に造られた栄光を回復するのです。そのために御子が人となられました。神の救いの計画の素晴らしさの前に頭を垂れる者です。

里山散歩で