クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

神の御子 なぜ、なに(7)神の戒めを守る

 キリスト者は神の御子の贖いの死を信じ、罪の赦しを得ます。また人は洗礼を受けてキリストに結ばれ、新しい命に生きる者、新しく生まれた者になります。さらに言えば、キリスト者は神の子とされます。キリスト者がいかに生きたら良いのか、それを示すのが神の御子です。キリスト者が何を目指して生きるのか、御子がいなければ分からないままです。

ガラテヤ  3:26~27
あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。
洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。

 キリスト者は神の子として生きていきます。何を目指して生きていけばよいのでしょうか。第一に全身全霊で神を愛し、自分を愛するように隣人を愛することです。神を愛することについては、次の聖句があります。

ヨハネ一 5:3
神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。

 神を愛するとは神の掟を守ることです。ここで大事なことは、神の御心を大切にすることです。神の御心を重んじることです。誰かを愛するとは、その人の心を大切にすることです。神の掟を守るのは、守らなければならないから守るのではなく、神の御心を大切にするので、自ら進んで掟を守るのです。神の戒めを守る動機が大事です。

 人間は自己中心的な性質があるので、神の御心を大切にするには、一種の心の転換が必要です。それは罪を悔い改め、神に愛されていることを知り、神を愛していこうとする心から生まれるものだと考えます。神の御心を大切にし、神を愛していこうという志を立て、聖霊の導きを受けて、神の御心を喜んで重んじる心を求め、与えられることが大切です。神を愛する人は神の御心を大切にするので、神の掟を守ります。

 このように神の御心を大切にし、神の御心に従順に生きたのが神の御子です。

フィリピ 2:6~8
キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。

 人となられた御子は、キリスト者の模範です。神に創造された本来の人間がいかに生きるのか、その模範を示したのが神の御子イエス・キリストです。パウロもこう書いています。

コリント一11:1
わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい。

 キリストを模範としなさいと言われても、どうしたらいいのか戸惑うことがあります。キリストは目の前にいないのですから。そこでパウロは、私がキリストに倣って生きているから、私に倣えばいいのだよと勧めます。

 キリスト者としていかに生きたらよいのか、神の御子イエス・キリストは、模範としてなくてならない存在です。

レンゲ 散歩道