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隠退牧師 holala によるブログ

生きておられるイエス(1)

 ルカ福音書24章13節以降で、二人の弟子がエマオ村に向かって歩いていました。そこにイエスが現れ彼らに近づきます。彼らの目が遮られていたので、弟子たちはそれがイエスであるとは気づきませんでした。

 二人の弟子たちは、イエスがメシアであると期待していました。彼らが理解するメシアは、イスラエルをローマの支配から解放するメシアでした。そのイエスが十字架で死んでしまったので落胆していました。

 この二人の弟子たちは、イエスを葬った墓に行った女性たちが、イエスは生きておられると報告するのを聞いたのですが、たわごとに思え、信じませんでした。

 そこでイエスはこの二人の弟子たちに対して、聖書全体から、イエスについて書いてあることを説明しました。つまり十字架についたイエスはメシアであることを説明しました。

 やがてエマオ村の近くに来たとき、弟子たちはイエスに自分たちの村に来て泊まってくださいと話します。そして家に入り、夕食となります。イエスがパンをとり賛美の祈りをしてパンを裂き、二人の弟子たちに渡したとき、彼らの目が開け、彼らはそれがイエスであると気づきました。するとイエスの姿が消えました。イエスは生きておられる、そのことを知った弟子たちは、急いでエルサレムに戻り。他の弟子たちにイエスと出会ったことを伝えました。

 聖書は、イエスの復活を語り、イエスは生きておられると語ります。

 イエスが復活したとは言い換えると、主イエスは生きておられる、ということです。イエスの復活を信じるとは、主は生きておられると信じることです。私にとっても、主は生きておられるということです。主は生きておられるという現実に自分はどのように生きているのかと我が身を振り返るよう導かれます。

ガラテヤ 2:19
わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです。わたしは、キリストと共に十字架につけられています。
生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。

 使徒パウロは、キリストはわたしの内に生きておられると語ります。キリストはあなたの内に生きておられるのですかと問われたら、どう答えたらいいのだろうか。立ち止まります。

 するとある賛美が心に響きます。

主は今 生きておられる
わが内に おられる
すべては主のみ手にあり、
明日も生きよう、主がおられる
(Because He Lives I Can Face Tomorrow)

ミツマタ 和紙の原料となる木