キリストに似た者となることを目指すことはキリスト者の課題です。なぜならイエスは真の人であるからです。私たちは罪を犯してきましたが、イエス・キリストによる救いを得て、真の人を目指し、最終的な救いの実現を目指します。神の国に迎えられるのにふさわしい者となることを目指します。
讃美歌11番
こころをきよめて 愛をみたし
わが主のみすがた 成らせたまえ
私はキリストに似た者となることを目指して生きています。カトリック教会で崇められているような聖人になることを目指しているわけではありません。神の子と呼ばれるのにふさわしいキリスト者になることを目指しています。
私の第一の目標は、イエスが父の御心を行われたように、神の御心を行うひとになることです。そのために日々聖書に親しみ、思い巡らし、神の語りかけに耳を傾けるようにしています。
讃美歌374
主イエスにならいて み神のみむねを
日ごとの糧とし よろこび務めよ
第二の目標は「憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容」で、これが身につくように日々祈っています。
コロサイ 3:12
あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。
私は自分がどれほどキリストに似たキリスト者になっているのか、ということは考えません。現実には似ているとは言えないと思います。でも努力だけは惜しまないつもりです。「あなたはよくやった」と主イエスに言っていただければ満足です。主イエスに似た者となることを目指す、それは神の栄光を現すことにつながると信じています。