「A長老、こんにちは」
「Bさん、こんにちは」
「聖書、読まれましたか」
「はい、読みました。興味深かったです」
「どんな風に面白かったのですか」
「イスラエルの民は、困難に直面すると不平文句を言い続け、神さまに助けを求めることをしませんでした。神さまに信頼しようとしませんでした。なんでそんなにかたくなになるのか、不思議に思いました」
「そうですね。約束の地を目の前にするところに着いたときはどうでしたっけ」
「偵察隊が派遣され、偵察隊はこれから行こうとする土地は実り豊かな土地だ報告しました」
「それなら、前進ですね。いよいよ新しい土地に進むわけですね」
「本来ならそうなんですが、偵察隊は、これから行く地には強そうな人たちが住んでいるという報告もしました」
「それでは不安になりますね」
「はい、イスラエルの民は気持ちがなえてしまいました。もし前進したら妻子が奪われてしまうかも知れない。それならエジプトに引き返した方がましだという始末です」
「それでどうなりましたか」
「はい、神さまはついにお怒りになりました。『この民はいつまで私を侮るのか』と神さまはおっしゃいました」
「そうですね。神さまを信頼しないのは、神さまを侮ることになりますね」
「はい、そうなんです。これを読んで、なぜイスラエルの民は神さまに信頼し、助けを求めなかったのかと思いました」
「そうですよね。もしBさんがイスラエルの民のひとりだとしたら、どうしたと思いますか」
「私としては、神さまを信頼したいです。エジプトで大いなる奇跡を行われましたし、荒野の旅の中でも困難が起きるつど神さまは助けてくださいました。神さまが導いてくださる土地が目の前にあるのですから、神さまに信頼して約束の地に入りたいと思います」
「Bさんは信仰的ですね。ではどうしてイスラエルの民は神さまに信頼しようとしなかったのでしょうか。どう思いますか」
「そうですね。今までは確かに神さまは助けてくださったかも知れないけど、次も助けてくれるという保証はない、と考えたからでしょうか」
「それもあるかもしれません。でも人間は学ぶことができる存在ですから、神さまは困難に遭ったとき助けてくださる方だと学ぶことはできたと思いますがどうでしょうか」
「はい、私もそう思います。だから私は神さまに信頼したいと思いました。イスラエルの民は、ずいぶんかたくなだと思います」
「私もそう思います。でもイスラエルの民は、神はなぜ我々を困難に合わせるのだろうか、エジプトであれだけ大きな奇跡を行ったのだから、困難を避けて自由に生きる土地へ我々を連れて行くことができるのではないか、なぜそうしないのだと考えるかもしれません。そして神さまに不信感を持つかもしれません。そうなれば、神さまに信頼する気持ちになれないかもしれませんね」
「なるほど」
「でも正直に言うと、イスラエルの民がなぜ、神さまに信頼しようとしなかったのか、正確なところは私には分かりません。彼らの心は信仰に開かれていなかったことは確かだと思います。イスラエルの民は神さまに対して心を閉ざしていました。Bさんは神さまに心を開き、神さまに信頼するとおっしゃいましたね」
「はい、私は神さまを信頼したいと思いました」
「神さまに対して心を閉ざしている、これは心が束縛されている状態だと私は思います」
「心が束縛されているから、神さまに対して心が開けない、だから神さまに信頼できないということですか」
「はい、そうです」
「心が束縛されている、言葉の意味は分かりますが、現実にどういうことなんでしょうか」
「Bさんは、タバコを吸いますか」
「吸いません」
「それはいいですね。私は昔タバコを吸っていました。体に悪いと感じるようになったので、やめようとしましたが、やめられません。分かっちゃいるけどやめられない、です。私は自分のことをタバコの奴隷、タバコに支配されている、タバコに束縛されていると思いました」
「ふ~ん。そうなんですか。それで今はどうなんですか」
「今はやめています。タバコの奴隷から解放されました」
「それはよかったですね」
「イスラエルの民が神さまに信頼すればいいのに信頼できない、信頼しない。それは神さまにゆだねることができないし、ゆだねたくないという思いに縛られていることだと思います。なぜゆだねたくないのでしょうか」
「自分を手放したくないのかな。自分に執着しているのか。すると自分に束縛されているということになるのかな」
「自分を手放す、自分を明け渡す。そして神に信頼する自由に生きる、それが信仰です」
「神に信頼する自由ですか。なんか憧れますね」
「Bさん、次はイエス様の山上の説教を読んでみてはどうですか。マタイ福音書の5~7章です」
「分かりました。読んでみたいと思います。ありがとうございました」