「A長老、こんにちは」
「こんにちは」
「先日の『神さまがあなたの願うことは何でもかなえてくださるとしたら、どう思いますか』、考えました」
「で結果は?」
「そうなったらいやだというのが私の答えです」
「でもあなたの願うことは何でもかなうんですよ、それがいやなんですか」
「はい。私が心の中で願うことは、すべて善いこととは限りませんから。悪い思いが心の中をよぎることがあるし、それが実現したら、自分の心の醜さを見る思いがしていやだと思いました」
「ではBさんの願いの中で悪いものを除いて、それ以外のものは全部かなうというのはどうですか」
「それはいいなと思いますが、聖書に『何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある』とあります。私が願うとき、それが時にかなった願いなのかどうか自信がありません」
「なるほど。では、私たちは何を願ったらいいんでしょうか。どう思いますか」
「これだけは絶対かなえてほしいということは祈りたいと思います」
「ところで主の祈りに『みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ』とありますが、どう思いますか」
「礼拝のたびに唱えていますが、深くは考えていません」。
「毎週毎週のことだから、唱えるだけになってしまうかもしれませんね。主の祈りは、神さまのみ心がこの地上で行われるようにと祈ります。私はこの祈りはとても大切だと思っています」
「どういうことですか」
「出エジプトしたイスラエルの民は旅の途中で困難に直面しました。Bさんは不満を言うイスラエルの民の気持ちもわかるし、文句を言うのではなく神に助けと求めればいいのにと思う、とも言われましたね」
「はい」
「そこでどう考えたらいいのか、です。主の祈りは、神のみ心が地上で行われることを祈ります。では困難に直面したイスラエルの民はどうすればよかったと思いますか」
「それはもう神さまに助けを求めることだと思います」
「なぜ、神さまに助けを求めるのがよいのでしょうか」
「自分たちの力ではどうすることもできませんから」
「たしかに。でもそれ以上に大切なことがあると私は思っています。主の祈りは、神のみ心が地上で行われるようにと祈りますね」
「神の御心ですか」
「はい。神さまはイスラエルの民を自由に生きることができる地に連れていくと約束されました。この約束の実現を信じることがイスラエルの民にとって大切なんです。その上で困難に直面した場合、どうすることが神の御心にかなうかですね。たとい困難に直面しても神さまは必ず約束を実現してくださると信じ、神さまの助けを求めることが御心となります」
「なるほど。ということは、自分に対する神さまの御心を知る努力が大切となりますね」
「よいところに気づかれましたね。キリスト者は新しい人であるとお話ししました。新しい人は神さまの御心を大切にする人だとお話もしました。神さまの御心を求めることは大切ですね」。
「ありがとうございます。・・・。でも疑問に思うことがあります」
「何ですか」
「イスラエルの民は、約束の地を目指していました。だから困難に直面しても、神さまは約束を実現してくださるはずだから、助けを求めればよいということでしたね」
「そうです」
「でもなんでそれができなかったのか、そうしようとしなかったのかと疑問に思いました」
「エジプトで神さまの大いなる奇跡を体験したのに、なぜ神さまに助けを求めないのか、不思議と言えば不思議かもしれません。Bさんはどう思います」
「どうしてかな~」
「ではイスラエルの民の旅の続きを読んでください。レビ記は飛ばしていいです。民数記まで読んでください。細かい礼拝儀式のようなことは飛ばしていいです。旅で何が起きたのか、そこに注目して読んでみてください」
「はい、楽しみですね。早速帰って読んでみます」