「A長老、こんにちは」
「やあ、Cさんこんにちは。お変わりありませんか」
「ありがとうございます。コロナ禍でもこうして礼拝に出席できてうれしいです」
「それはよかったです」
「ところでA長老、先週礼拝後、Bさんと少しお話しさせていただきました」
「そうですか。それで」
「Bさんが、何がきっかけで洗礼を受けたのかと私に質問されました。そこで心のよりどころがほしかったのです、と答えました。するとBさんに、あなたは神さまに何を期待しているのですか、と聞かれました」
「なるほど、それでどう答えたのですか」
「私は、神さまに祝福していただき、平穏な日々を過ごしたい、と答えましたの。するとBさんはびっくりすることをおっしゃったんです」
「どんなことですか」
「私が偶像礼拝をしているかも知れないというのです。失礼なことを言われるなと内心思いました」
「Bさんがそんなことを。私がBさんにあなたは偶像を礼拝しているかも知れないといったからかもしれません」
「BさんはA長老に言われたことを覚えておられ、私にもそう言ったのです」
「そうですか。どんなことをBさんは言ったのですか」
「私は神さまに平穏無事な生活を期待していますと言ったことに対して『クリスチャンには時に試練が伴うはずで、Cさんに平穏無事な生活を与える神は、聖書の神ではない』とBさんは言われました」
「なるほど。Cさんは心のよりどころが欲しいと願っておられるわけですね」
「そうです」
「その願いは間違っていません。問題は、神さまがどのようにして、私たちのよりどころとなってくださるか、聖書はどう語っているかを知ることが大切だと思います」
「そういえばBさん、試練について聖書から引用されました。どこの箇所か覚えていませんが」
「それは、神さまは耐えられない試練に遭わせることはないし、試練に遭っても、逃れる道を用意しておられるという聖句ではないでしょうか」
「ああ、そうです」
「信仰者だからといって何の問題もない人生を送ることができるとは限らないんです。私は数年前ガンを患いまして、どうなるかと思いました。あまり言いたくないのですが、実は私は息子との折り合いがうまく行っていないんです。何とか関係回復したいと思っているのですが、今のところ進展はないというか、どうしていいか分からない状態です」
「それは、それは。誰にも悩みはあるものなんですね。A長老の心はいかがなんですか。眠れない夜を過ごすこともあるのですか」
「今はありません。感謝なことに私の心の底には平安が与えられていますので」
「本当ですか。なんか悟られたようですね」
「悟りなんてとんでもない。私は普通の信仰者ですよ」
「でも心の底に平安があるというのは、すごいと思いますわ。なんか憧れます」
「これにはコツがあるんです」
「コツですか。どんなものですか」
「聞きたいですか」
「それはもちろん」
「それはね、言い方は色々あるんですが、要するに私は神さまのものだということです」
「神さまのもの?よく分かりませんわ」
「Cさんは持ち物で大切にしているものってありますか。洋服でもアクセサリーでも鞄とか食器とか」
「そうですね。私は食器にこだわりがあります」
「そういう物って持つことに喜びがありますよね」
「はい、自分の好きな食器で食事をするのは楽しいです」
「私は、自分が神さまのもので、神さまが私を大切に思っていてくださることを信じているのです」
「本気で信じているんですか。なんか笑っちゃいそうになります」
「そうかもしれません。でも本気です。なぜなら聖書に書いてあるからです」
「聖書にですか?」
「前回お話しした時、イスラエルの民は神さまのもので、神さまは彼らのことを宝の民と呼んでいるとお話ししました」
「ごめんなさい、忘れてしまいました」
「いいんですよ。よほどのことがない限り、聖書の言葉はなかなか心に残りません」
「ありがとうございます。でも聖書に書いてあるからってそれを本気で信じるのですか」
「ええ、本気ですよ。私は神さまのもの、私もまた神さまにとって大切な存在。神さまは、私のことを神の子と見てくださるし、天の父よと呼ぶことを許してくださいます」
「そうですか」
「Cさんには子供さんがいらっしゃいますか」
「二人います。大学生と高校生の息子がいます」
「息子さんたちが何か困難な目に遭われたら親としてどうされますか」
「それは、助けますわ。できる限りのことをすると思います」
「なぜそうするのですか」
「大切な子どもですから、助けるのは当然だと思います」
「そうですよね、神さまも同じです。私たちは神さまにとって大切な存在なのです」
「それを信じられたらいいですね」
「前に『聖なる者になりなさい』という聖書の言葉をめぐってお話ししました。聖なる者というのは、言い換えると神さまのものであるということです。聖なる者になりなさいとは、神さまのものとして生きていくということです」。
「ちょっと待ってください。今日はここまでにしてください。頭がちょっとクラクラしてきました」
「そうですか。ではお元気で、さようなら」