クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

A長老とBさんの対話(21)罪を犯すよう働きかける力

「A長老、こんにちは」

「Bさん、こんにちは。お変わりありませんでしたか」

「はい、神さまに守られ、元気に過ごしています。前回、A長老は最後に、神さまに喜んで従いたいと思う心を与えてくださるとしたら、それを求めるかどうか。どうですかと聞かれました」

「そうでしたね。それでどうなんですか」

「私には神さまに従いたいと思う心はあります。でも同時に、神さまの教えによっては、その教えには従いたくないと反発する心もあります。もし喜んで従いたいと思う心が与えられたら、従いたくない教えにも従うようになるわけですね」

「はい、そうです。喜んで従うようになる、すばらしいことだと思いますがどうなのでしょう」

「今の私からいうと、自分が自分でなくなるようで怖いです。何のためらいもなく神さまに喜んで従う人間になったら、どこか知らないところへ連れて行かれたような、自分が自分でなくなるような気がします。マインドコントロールされているような感じになります」

「そうですね。その気持ち、よく分かります。自分が別人になってしまうようで簡単には受け入れることができないわけですよね」

「はい、その通りです」

「ちょっとよく考えてみたいと思うのです。Bさんは、従いたくないと思ってしまう神さまの教えをどう受けとめているか、ということです」

「どういうことですか」

「つまり、そんな教えには従いたくないと全く拒否しているのか、本当は従いたいと思うのに同時に従いたくないという思いもあるのか、どちらなのかということです」

「それなら後者です。従いたいという思いはあります。でも反発する思いもあるんです」

「それはよかった」

「何がよかったのですか」

「Bさんは、信仰者として新しく生まれていることがはっきりしたからです」

「どういうことですか」

「Bさんは、神さまの教えに従いたいと考えています。それはBさんが新しく生まれた信仰者であることを示しているからです」

「そうなんですか?」

「だって、Bさんが従いたくないという思いが出てくる神さまの教えを世間の人はどう受けとめると思いますか」

「受け入れようとはしないと思います」

「その通りです。でもBさんには従いたいと思う心があります。つまりそれはBさんが洗礼を受けて新しく生まれ変わったことを示す証拠です。つまりBさんはクリスチャンとして新しく生まれ変わっているということです」

「なんか嬉しくなってきましたよ」

「そうですよ、新しく生まれ変わっている、嬉しいことなんですよ。これは神さまの救いの御業の結果だからです」

「でもそれなら、なぜ、従いたくないという反発心があるのですか」

「生まれ変わったら、なぜ反発心があるのか、疑問に思いますよね。生まれ変わったからといって、私たちの心が全く神さまに従う心になったわけではないのです。先ほど、神さまに喜んで従う心が与えられるなら、自分が自分でなくなるようで怖いとおっしゃいましたよね」

「はい」

「だから私たちが生まれ変わったからといって、無条件に喜んで神さまに従う人間になったわけではないのです。それでは人格改造されたことになります。神さまはそんな無茶はなさいません」

「それはよかったです」

「ここで是非知って欲しいことがあります。それは、この世界には、私たちに罪を犯すように働きかける力があるということです。犯罪を犯すように働きかける力ではありません。神さまに背くように働きかける力です」

「そんなものがあるんですか。初めて聞きます」

「私も教会の聖書の学びで教えられました。創世記にアダムとエバが、神さまから取って食べてはいけないと禁じられた木の実を食べた話がありますね」

「はい知っています。私が彼らだったら、私は食べないという自信はありません」

「あの物語に出てくる蛇は、私たちに罪を犯させようと働きかける力を象徴しています。蛇は『それを食べると神のように賢くなることを神は知っている』と言っただけです。それは暗黙の内に神はあなたがたが賢くなるのを望んでいないよと語ります。こうして食べるようにそそのかしています。食べなさいとは言っていませんし、食べるように強制してもいません。食べたのはあくまでもアダムとエバで、彼らは自ら手を出して木の実を取って食べたのです」

「神のように賢くなると知ってアダムとエバは食べたということですか」

「そうです。賢くなりたいという欲が彼らの中に湧いてきて、食べてしまったわけです」

「なかなか深い物語なんですね」

「そうです。この世には色々な誘惑がありますね。誘惑もまた私たちを罪に誘う力といってよいと思います。私たちのうちに神の戒めに反発する思いがあるのも、私たちは自由でありたい、なぜ、私の自由が抑えられるのか。私は自由でありたいとの思いがあるからです」

「たしかに自由を抑えられるのはいやですね」

「あるいは、神であろうと人からであろうと指図されるのはいやだという人間のプライドもあります」

「そのプライドがあるから神の教えに従いたくないという思いが生まれてくるのですね。私はなぜ、神の教えに反発したりすることがあるのか、少し考えさせてください。今日は有難うございました」

「お元気で。さようなら」

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