クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

キリストを伝える宣教者

 パウロはコリントの信徒への手紙二の2章で福音宣教者について語っています。 

2:17
わたしたちは、多くの人々のように神の言葉を売り物にせず、誠実に、また神に属する者として、神の御前でキリストに結ばれて語っています。 

   ここには神の言葉を売り物にする人がいるとあります。しかも「多くの人々」とあります。神の言葉を売り物にする人が多いというのは深刻な問題です。職業選択の一つとして牧師を選ぶ人、良い説教をすると認められることを願う人、優れた説教者であると認められて内心自分を誇りに思っている人、自分は教理をきちんと理解しているから説教にはそんなに苦労しないという人、その他にも色々な人がいると思います。誰しもこのような傾向を内に持っているというか、このような思いへ誘われることがあると思います。 

 またこれとは別な福音宣教者がいます。 

 2:14
神に感謝します。神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます。

  キリストを知るという知識の香りを神さまによって漂わせている人です。このタイプの人は、17節によれば、神に属する者であり、キリストに結ばれている人です。礼拝で説教を聞いているとき、私たちは語られた言葉を聞くわけですが、パウロは説教を聞く中で、キリストを知る知識の香りを嗅ぐ人がいるというのです。「香り」は感覚で感じとることができますから、具体的です。キリストのすばらしさが聞き手にビンビンと伝わるというのです。その結果信じる人が生まれるので、「神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ」てくださるというのです。

 この二種類のタイプはある意味両極端で、多くの福音宣教者はこの両極端の間のどこかにいることになると思います。

 神に属する人の特徴は謙遜だと思います。ヨハネ福音書には「神に属する人」「真理に属する人」とあります。謙遜とは、神の前に、真理の前に身を低くすることです。神に属する人とは、福音という真理を追求し、福音という真理に生かされ、福音という真理に生きる人といってよいと思います。福音は証しとして語られなければ、キリストを知る知識の香りとはならないと思います。パウロは次のように書いています。 

コリント二3:18
わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。

  「主と同じ姿に造り変えられていく人」がキリストを知る知識の香りを放つ人なのだと思います。キリストと同じ姿に変えられることを求めてこそ、真の福音宣教者なのです。パウロはそのように教えているように思います。パウロは証しとして書いています。

 パウロは目標です。わたしには持論があります。目標を目指してどこまで達成したかが大切なのではなく、目標を目指していつも忠実に歩むことが大切、これが私の持論です。

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イヌガラシの花 小さな花です 散歩道