クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

キリストは罪を背負い

 2020年8月レバノンの首都ベイルートで大きな爆発事故が起きました。

「この爆発により207人が死亡、6,500人以上が負傷し、最大で30万人が家を破壊されて住む場所を失った。レバノン総合治安局長は、今回の主な爆発は、政府によって没収され過去6年間港に保管されていた約2750トンの硝酸アンモニウムと関連していると述べている」(出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)。 

  先日テレビで、この爆発事故によって片目を失った少女を見ました。勉強するときなかなか集中できないとのことでした。レバノン政府が適切に爆発物を管理していなかったから爆発事故が起きたとするなら、管理不十分という罪が、大きな犠牲を出したと共に、この少女の苦しみを生み出したことになります。

 この映像を見て、私は何か大きな反省を迫られたように感じました。現代では、人間の罪が他者を傷つけるということが個人レベルで、色々な組織のレベルで、そして国家レベルで行われています。具体的な現実がテレビや新聞で報道されています。今朝の朝日新聞にはトヨタ自動車の社員が上司からパワハラを受けて自殺したことをめぐって、トヨタの社長は遺族に謝罪し、和解が成立したことが書かれていました。パワハラという罪が人の命を奪ったのです。それは上司個人だけの責任ではなく、それを防ぐことができなかった企業の責任をトヨタの社長は深く受けとめているようでした。

 苦しむ人たちの存在、それは人間の罪がもたらすものであり、これを解決するのはキリストしかいません。しかし教会がキリストを宣べ伝えても、罪の悔い改めがあちこちで起きて世界全体で悔い改め運動が起きて、個人が変わり、組織が変わり、国家が変わるというようなことはなかなか起きません。罪が世界を、人間を支配しているという聖書の見方は正確であり、現実です。

世界は福音を必要としている、そう考えて私は牧師としてキリストを宣べ伝えてきました。キリストは人類の罪を背負い、十字架の上でその罪に対する神の罰をその身に受け、神に見捨てられて死に、人類の罪の償いをしてくださったと語ってきました。

 私が反省を迫られたのは、キリストは世の罪を負われた、ということを簡単に口に出してはいけないという反省です。他者の罪により苦しんでいる人たちの苦しみに自分が圧倒されなければ、キリストが世の人々の罪を負われたなどと口にしてはいけなかったのだと思わされました。

 しかしそれはある意味不可能です。福音を宣べ伝えるなら、キリストがあなたの罪、わたしの罪、全人類の罪を背負われたことを語らなければなりません。だから、できる限り、私たちの犯す罪が多くの人たちに苦しみを与えているという現実を真剣に受けとめる必要があることを思わされました。そうしなければキリストの苦しみを共感することはできないし、十字架につかれたキリストを宣べ伝えることはできないのではないか、と思わされました。

 

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