クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

主に喜ばれる者でありたい

 今、コリントの信徒への手紙二を少しずつ読んでいます。不思議な感動を覚えて読んでいます。パウロの心に触れることができるような気がしています。私はパウロをキリスト信仰が何かを解明してくれる偉大な師に思えます。キリストを信じるとはどういうことかを明らかにしてくれます。そして何よりも信仰者の模範と考えています。パウロ自身、「わたしに倣う者になりなさい」と語っています。

 パウロにとって救いとは、キリストのようになることです。今朝読んだ箇所には「ひたすら主に喜ばれる者でありたい」(コリント二5:9)とありました。若い頃、求道者であったとき、キリストがご自分を十字架に献げたことを読んで心に残りました。この自己犠牲というキリストの生き方に目が開かれた思いをしました。そのころの私は生きることのむなしさに悩み、何をしたら、何を手に入れたら充足した生き方ができるかを考えていました。キリストが自己犠牲の生き方をしたことは驚きでした。しかし、ここに救いがあるのではないか、と考え、それがきっかけで信仰に入るようになりました。

 だからキリストのようになりたいとの思いは常に私にはありましたし、主に喜ばれる者でありたいとの思いも常にありました。キリストが死に至るまで、十字架の死に至るまで父なる神に従順であったように、私も従順であること、それが主キリストに喜ばれることであると考え、また志してきました。具体的には御言葉によって生きるということです。

 今朝「ひたすら主に喜ばれる者でありたい」(コリント二5:9)とのパウロの言葉を読んで、今よりさらに「主に喜ばれる者となりたい」と思いました。考えて答えが出ることではないので、祈ることにしました。神さまの導きを楽しみにしています。

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