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隠退牧師 holala によるブログ

安息日の戒めに見る神の御心

 福音書を読むと安息日のイエス様の行動をファリサイ派や律法学者の人たちが責めていることがわかります。挙げ句の果てにはイエス様を殺そうとします。十戒では、安息日にはいかなる仕事もしてはならないと戒められています。ファリサイ派や律法学者たちは、安息日にしてはいけない仕事とは何かのリストを作り、それを守ったと言われています。そしてイエス様の行動はしては行けないことに含まれていたので責められたようです。

 十戒は「安息日を覚えてこれを聖とせよ」です。聖とするとは、特別な日にせよとの意味です。労働をしないことによって、安息日を特別な日にすることになります。

 神さまの戒めには、どんな神さまの御心があるのかを考えることが大切だというのが私の持論です。そうしないと教えを形式的に守りかねません。それでは安息日を聖とするとの戒めにはどんな神さまの御心があるのでしょうか。考えてみました。

 安息日の戒めは十戒に含まれていますが、出エジプト記の十戒(20章)と申命記の十戒(5章)では、この戒めを守る理由に違いがあります。

 申命記では、エジプトにおける奴隷状態から神さまが救い出してくださったことを覚えて安息日を聖としなさいとあります。キリスト教的に言えば、イエス・キリストによって、わたしたちが罪と死の支配から自由にされたことを覚えるなら、神さまに礼拝を献げることが御心であると考えます。

 出エジプト記では、神さまは6日間で世界を創造し、七日目は休まれたとあります。7日目を仕事から離れて安息する特別な日にしなさいとの意味になります。私たちは、ふだんの仕事でストレスを感じており、安息日にはストレスから解放され喜んで過ごしなさいと神さまはおっしゃっているのではないでしょうか。感謝して喜んで一日を過ごし、仕事をする日々に備えることができれば、神さまの御心にかなうと信じます。

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