クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 創世記冒頭の世界の創造物語をどう考えるか。聖書解釈にも関わる問題。聖書は科学的にも真理と解釈する立場なら、世界は聖書に書かれているとおりに創造されたことになる。アメリカで学校では進化論を教えてはならないという裁判が起きている。
 僕は、聖書は科学を語っているとは考えない。聖書は神の言葉であり真理であると信じるが、聖書が語っていることは科学的にも真理であるとは、考えない。聖書は科学的にも真理とは考えないので、世界が聖書に書かれているとおりに創造されたとは考えない。聖書は世界の由来について科学的な説明を与える本ではない。聖書は世界がなぜ存在するのか、存在の意味、目的を語る書物と考える。だから聖書が科学と矛盾するとも考えない。
 では聖書の創造物語は作り話なのか。空想なのか。そう言われたら、違うと答える。ある人が

「聖書の創造物語は事実ではないが、真理である」

と言った。うまいことを言う。
 聖書の創造物語は、世界の由来について科学的な説明を与えるものではない。同時に、作り話、空想でもない。僕はそう考えている。神が無から世界を創造し、言葉によって創造したというのは真理だと信じている。それがどのようなプロセスによって今日ある世界になったのか、それは科学がそれなりに解明してくれるだろう。
 ニュートンという科学雑誌があるが、宇宙の由来について、無から突然、ビッグバンが起きて、今の宇宙ができたと書いている。なぜ、無から、ビッグバンが起きるのかの説明はない。「パスツールという科学者は、生命が突然発生することはないことを実験で証明したとされている」(『ダーウィン・メガネをはずしてみたら』より)