クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 今日は北陸連合長老会の牧師会で七尾まで出かける。風がさわやかである。早く着いたので七尾教会の隣にある小丸山公園を散歩する。牧師会は説教批評、神学書講読、教会の働きのための話し合い。僕にとっては教えられることが多く励まされる。説教批評で「説教の証言性」が大事だと指摘され、その通りだと思う。その点は自分も心がけているし、それが欠けると物足りない説教となってしまう。


 そして考えさせられたことは、教会的信仰をどう確保するか。これは前々からの課題であり、どうしたらよいのか解決策は見いだせないでいる。教会的信仰と対比されるのが個人的信仰である。個人的信仰を克服し、教会的信仰に導くことが大切なのである。


 教会的信仰とは、信仰共同体である教会に属する者として生きること。神の民の一員として生きること。信仰共同体、神の民に与えられた使命に生きる信仰である。個人的信仰とは、自分と神様との関係に生きること。信仰生活をするために教会という場に身を置くが、教会という信仰共同体の一員として生きるという意識は希薄である。自分の信仰生活が満足のいくものであればよいのだ。キリストの体の枝として生きるという自覚的な信仰が教会的信仰。


 聖書の学びをきちんと行えば、教会に与えられた使命に仕え、献身することが起きるだろう。聖書の学びを欠くことはできない。形と中身、形式と内容ということを考えると、中身、内容は聖書の学びだ。形、形式とは、教会のあり方に対する形。一つの形は教派。教派によって教会の形が違う。日本基督教団は合同教会で、様々な教派的伝統を持った教会がある。金沢元町教会は長老派の流れを汲む。このことももう少し真剣に考えなければならない。