クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ


↑ 北陸学院大学グラウンドに咲いている「スミレ」


 今日は、北陸学院大学の礼拝奉仕。「選ばれる」というテーマでこの四月は礼拝の説教がなされている。礼拝後、グラウンドを散歩。スミレが沢山咲いていた。ここに咲いているのは、「スミレ」という名前のスミレ。


聖書 ヨハネ 15:16 神に選ばれて生きる

1.初めに 

 選ばれるというのは、素敵なことです。私たちが必要としていることです。皆さんの前に、素敵な男性が現れ、僕はきみを選ぶよ、と言われたら、うれしいですね。選ばれるというのは、うれしく、光栄なものです。就職したいと願う時、就職試験を受けます。試験が合格し、選ばれ、希望する仕事に就くことができますね。俳優になりたくて、オーディションに申し込み、選ばれたら、うれしいですね。私たちの人生において、選ばれるということは大切なことだと思います。今日の聖書は、あなたは神様によって選ばれていると告げます。
2.二つの生き方 

 私たちがこの世に存在するようになることを、私たちは「生まれる」といいます。私はこの世界に生まれたい、と願って生まれた人は一人もいません。私は気がついたら、この世に存在しているのです。私は、他の力、他の存在によって、この世に存在するようになったのです。神によって存在しているのか、または偶然存在しているのか。どちらか、です。

 聖書は、私たちは神によって存在していると告げます。神が私たちを誕生させ、私たちのことを心にかけていると聖書は告げます。聖書の語ることを受け入れないなら、私たちは偶然存在していることになります。もし私が偶然存在するということは、私はいてもいなくてもどちらでもかまわない存在ということですね。神によって存在し、神に覚えられているなら、私たちは、価値ある存在となります。自分は神によって存在し、神に覚えられていると考えるか、自分は偶然の存在と考えるか、私たちはどちらかを選択して生きています。どちらを選択するかで、人生は変わってきます。

皆さんには、結婚という可能性が将来にあるので、皆さんが選ぶ道は三つあります。

  • 神の導きを期待して生き、神にゆだねて生きるという道。
  • いい人を選んで結婚し、自分の幸せをその人にゆだねるという道。
  • 誰にも頼らないで、自己責任で人生を歩む道。

どれがいいですか。


3.聖書が伝えるメッセージ1 

 聖書は言います。

「私があなたを選んだ」。

 「私」とは、イエス(神様)です。神様が、あなたを選んだというのです。それは、

あなた方が出かけていって実を結ぶため

とあります。神によって選ばれたと信じ、私たちが生きるなら、実を結ぶと約束されています。私たちは神に導かれた人生を歩み、実を結ぶ人生を歩めるというのです。神様は、実を結ぶ人生を約束して下さるのです。これは私たちにとって希望です。


 もし、私たちが偶然に存在し、自分がどう生きるかは自分が選ぶとなったらどうなるのでしょうか。あるいは、人生のよいパートナーを選んで、その人に人生をゆだねるとしたらどうなるんでしょうか。いずれも人生は自己責任となるわけですね。そこで人々は、自分が納得できる人生を歩もうとします。普通それを、「自己実現」と呼びます。自分が納得できる人生、自分が幸せになれると思える人生を送ることができれば、幸せを感じることができるでしょう。生き甲斐のある人生を楽しむことができるかも知れません。神に選ばれて生きるのか。自己責任で生きるのか。どちらを選択するかは、あなたの自由です。

4.聖書が伝えるメッセージ2 

 聖書は言います。

「私の名によって父に願うものは何でも与えられる」。

 私たちが神に選ばれたと信じ、神の導きに従って生きる時、祈りが聞かれるというのです。祈りが聞かれる、これはうれしく、何とも言えない幸福を感じます。私たちの人生に奇跡が起きるといってもよいでしょう。


 自己責任で生きるなら、自分の力で生きるなら、生き甲斐はあるでしょうね。しかし、自分の無力さ、不運で落胆することもあるでしょうね。どちらを選ぶか、それはあなたの自由です。


 私は人生の途中で神に選ばれ、信仰者となり、牧師となり、今日まで生きてきました。神に選ばれた人生を歩んでよかったと感じています。私は本当に幸せですから。神様に選ばれていることを信じて生きていきませんか。この大学に入ったこと、そこにすでに神の選びは始まっているのです。