クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 今週日曜日、牧師としての最初の赴任地三重県の鳥羽教会の礼拝に招かれました。29年ぶりの訪問でした。懐かしい方々との再会。新しく加わった方々との出会い。説教できる喜び。雨が降る天気でしたが、恵みの一日でした。

↑赴任して4年後に会堂建築をしました。外観。
↓礼拝堂。ステンドグラスが素敵です

 列王記下17:1〜23


(内容)
 イスラエル王国アッシリア帝国によって滅ぼされました。それはイスラエルの人々が、エジプトの王ファラオから彼らを解放した主に対して罪を犯し続けたからです。即ち、他の神々を礼拝し偶像礼拝を行ったからです。

(黙想)

  • 神を信じるとは、神さまが指示されるように信じ、また礼拝すべきと教えられます。十戒には次の戒めがあります。
  1. わたしをおいて他に神があってはならない
  2. 像を造ってはならない
  • イスラエルの人々は、他の民族の人々が礼拝する神を礼拝し、像を造って神を礼拝しました。十戒に背き続けたため、神さまの手によりイスラエル王国は滅亡しました。神はイスラエルを侵略者(アッシリア帝国)の手に渡し、御前から捨てられました。神がイスラエルを見捨てる前に、イスラエルの方こそ神さまを見捨てたと言うことができます。彼らは、神さまがお命じになったように神を礼拝せず、自分の都合のよいように礼拝しました。
  • イスラエル王国の最初の王ヤロブアムは、イスラエルを主に従わないようにしむけ、彼らに大きな罪を犯させました。ヤロブアムは金の子牛を造り、これを礼拝しました。後に続く王たちは皆、ヤロブアムに倣い偶像礼拝を続けました。列王記下には、イスラエルの王たちがヤロブアムの道を離れなかったと繰り返し書かれています。ヤロブアムは悪しき模範を残しました。良い模範を示すことができればよかったのに、そうではありませんでした。
  • 偶像を造り、これを礼拝するようになると礼拝は儀式的になり、神の戒めを守ることがおろそかになります。さらに神さまのみ心に思いを向けることがおろそかになります。イスラエル王国において、またユダ王国についても、人々は町ごとに聖なる高台を築いて礼拝をしたと書かれていますが、偶像礼拝をしたのです。この聖なる高台は取り除かれませんでした。神さまの心に思いを向けることをしないと、いつの間にか、私たちは偶像を造ってしまいます。それは形ある像とは限らず、私たちの心のなかにできる偶像です。自分のイメージに合う神を造ってしまうのです。
  • 私たちは日曜日教会で礼拝を献げていますが、聖書を読み、説教を聞き、神さまのみ心に心を向け続けないと、私たちの礼拝が聖なる高台の礼拝に堕落してしまう可能性があるのではないかと思わされました。
  • イスラエルは最後にアッシリア帝国によって滅ぼされてしまいました。イスラエルは小国であり、大国の侵略に対して、これを迎え撃つ力はありません。抵抗して滅びるか、その支配に降るか、選択しなければなりません。でも第三の道として、神に信頼し、神に助けを求め、神にゆだねるという道もあります。神さまがどのように導かれるのか人間には分からないので、先の見通しが立たないという点で不安があるかもしれませんが、信仰者は本来、神の導きを求め、この導きに従って生きるものです。
続きを読む