クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ


↑ なんとかミツバツツジ 2008/5/19 奥医王山

 中国の四川大地震。被災した人々の生活復旧はどうなるのだろうか。二次災害を受けないために、住み慣れた村を離れる人々。財産をすべて失って、これからの生活をどう立て直すのか。それを支えるのは政治家の仕事であるが、未曾有の事態への取り組み。危機管理と言われるが、誰もこうしたらよいと提案できる人はいない。知恵を出し合う必要がある。愛する家族を失い、財産を失い、沢山の人が傷ついた。何がどうなればよいのかわからないけれど、落ち着いた生活が送れるようになることを祈る。


 夕方、コーヒー豆を買って帰ってくると妻がにこにこしている。「うれしい知らせがある」とのこと。何がそんなにうれしいのかと想像するが、わからない。娘から連絡があり、僕が使っているのと同じテキストを使って求道者の学びをしているとのこと。僕は『キリスト教入門〜あなたも自由になる』(藤本光悦著)を使って求道者の学び、教会員の学びをしている。いいテキストだからとすでに紹介はしてある。それを使い始めたと連絡があって、妻が喜んでいた。


 僕が牧師になった時は、地方の教会。求道者のほとんどいないので、求道者の学びをどうしたらいいのか、具体的な必要がなかった。金沢に来て、本格的に求道者の学びの必要に迫られた。その時に、ふさわしいテキストがあることはありがたい。娘夫婦は二人とも牧師で、牧会のはじめから、よいテキストの恵まれて求道者を導けるのは幸いなことだと思う。彼らのために役立つことができるのもうれしいこと。


 この二日ほどデボーションはモーセが召命を受ける物語。モーセは、口が重いし、と自分がふさわしくないことを告げて神の召しを断り続ける。これを読んで教えられたことがある。信仰者は、自分の能力の不足を神に補ってもらえばよいということ。自分にはできないとか、無理だとか言わず、自分の力不足で劣等感に陥る必要もなく、神が共にいて助けてくださる。自分の足りなさ、弱さを認めて、共にいてくださる神の助けを求めればよい。弱さの中に神の力が現れることを思えば、弱さを喜べる。パウロも弱さを誇ると書いている。これで劣等感から解放されたと思う。感謝。


劣等感から解放されるために考えるべきこと
・神は、自分のことを「価高く貴い」存在と見られていること。自分で自分を卑下する必要はない。
・劣等感は自分を誇りたいという肉の思いの現れ。劣っている自分が許せないのは高慢。
・神は、私たちの求めに応じ、私たちの不足を補ってくださるから、不足を嘆く必要はない。
・不足を感じなければ神の助けも必要はない。不足があるから、神の助けが与えられる。