クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 妻は朝から風邪で寝込んでいる。自分と母の朝食を用意する。用意するといっても冷凍したご飯を解凍し、納豆を出すだけ。妻が昨日作った味噌汁を温めるだけ。後片付け、コーヒーを飲んで一服。洗濯物を干す。時間だけが過ぎていく。ディボーション、祈りが終わると昼食の用意。昨日の夕食の残りを使ってカツ丼を作る。
 夕食はおかゆ。炊飯器を使えば簡単にできる。便利。夜は、MJエリクソンキリスト教神学の「再臨」の項をマインドマップ化。寝る前に3人分のねぎ湯を作る。

 クリスチャンはなぜ再臨を希望とするのか。これは大切な問題だ。クリスチャンの希望の抱き方には二種類ある。一つは、死んで天国に行くという希望。それ以上でもそれ以下でもない。天国という、死を超える希望があればそれで十分。終末を待ち望む必要はない。

 今ひとつは、再臨、復活、最後の審判という終末を待ち望む希望。なぜ、終末を待ち望むのか。それは、この歴史における神の計画が実現するからである。そしてその計画に参与する人生を送るから。つまり信仰者としての使命に生きるから。

 信仰者の使命とは何か。

 神は人を創造した。アダムとエバ。二人は神の戒めに背き、一体であるはずの夫婦が一体ではなくなった。その家庭で兄弟殺しが起きた。そして人間社会は堕落した。家庭の崩壊が社会の堕落をもたらした。家庭の回復、信仰共同体の回復、社会の回復。この世の回復。愛の共同体としての家庭の回復。愛の共同体としての教会形成。信仰の共同体の形成。信仰共同体の広がり、この世の救い。キリストにあってすべてのものが一つとされる神の計画の最終目標。
 罪は愛の共同体と一致を妨げる。憎しみの連鎖がいつまで続くのだろう。キリストにあってすべての者が一つとなるという神の計画に献身する人の希望が、再臨とそれに続く、神の国の完成である。後者の希望を抱くように導くのが説教者の務めである。