クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 ディボーションをしながら、神の導きを実感する。人の気持ちを大切にすべきことを教えられた。大切にするつもりではいても、大切にできていないことに気づく。Aさんが自分の気持ちをある集いで話していた。それを受けとめるべきなのに、「そうなのか」としか僕は受けとめなかった。別な集いで、BさんがAさんのことを聞かせてくれて、僕に気づきを与えてくれたというか、「受けとめなさい」との神様のみ心を知らされた。手紙を書くことにした。
 午後パソコンショップへ行ってディスプレイを購入。その後、入門コースの学び。夜は、石川地区の青年会の人たちのディボーションの集いに参加。会場が当教会なので楽しみにして参加している。今回は、元町教会の今度の日曜日の説教テキストをディボーションすることになっている。参加者がテキストを読んで感想を色々述べる。聖書から読み取る感性は人様々。興味深い。ヨハネ19章で、ヨセフがイエスの遺体を引き取り墓に納めた場面。ある参加者が、この場面は、新しいことが始まっている足音が聞こえると感想を述べた。えっと僕はその感性に少々驚いた。それまでイエスの弟子であることを隠していたヨセフがピラトに願ってイエスの遺体を引き取った。ヨセフは自分はイエスの弟子であるとカミングアウトしたわけである。ヨセフに起きた変化。何かが始まろうとしている。僕の頭脳は単純であることをあらためて思う。