クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

本日のメッセージ(2010.1.17)
聖書 エフェソ 4:7〜13 霊的成長とは、

「這えば立て、立てば歩めの親心」。子供を育てる親の気持ちを表しています。神様も私たちの成長を喜ばれます。私たち自身だって、信仰の成長はうれしいもの。成長する喜びを日々味わいたいもの。


「しかし、わたしたち一人一人に、キリストの賜物のはかりに従って、恵みが与えられています」(7節)。

 キリストが私たち一人一人に恵み、つまり、賜物を与えてくださっていると書かれています。賜物とは神が私たちに与えてくださる贈り物のことで、内容的には、能力、力を意味します。キリストがはかりを使うとは、どんな賜物をどれほど与えるかは、キリストが自由に決めるということです。どんな賜物があるのかと言われたら、使徒パウロはロマ12章でこう述べています。

「わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に専念しなさい。また、教える人は教えに、勧める人は勧めに精を出しなさい。施しをする人は惜しまず施し、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は快く行いなさい」(ローマ12:6〜8)。

 ここでは、預言の賜物、奉仕の賜物、教える賜物、勧める賜物、施しの賜物、指導の賜物、慈善の賜物と具体的な例が書かれています。私たちは賜物を与えられるわけですが、パウロは、賜物について語る直前で、こう述べています。

「わたしたちの一つの体は多くの部分から成り立っていても、すべての部分が同じ働きをしていないように、わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです」(ローマ12:4)。

 私たちのこの体には、眼、鼻、口、心臓、肺、足などいろいろな部分があって、各部分がそれぞれの働きをして、この体が成り立っています。それと同じように、私たち信仰者は、キリストの体の一つの部分であり、私たち一人一人が賜物を用いて働くことにより、キリストの体である教会が成り立っているのだとパウロは述べ、賜物について述べています。


信仰者になるとは、

  • キリストの体の一部分となり、与えられた賜物を用いて働き、他の教会員と一緒に教会を築いていくことを意味します。
  • 信仰共同体の一員となることを意味します。
  • 神の家族の一員となることを意味します。


「そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです」(11節)。

 キリストは教会を築くために、使徒預言者、福音宣教者、牧者、教師を選ばれました。これらの人々は、その働きをするための賜物を与えられます。

そして「こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき」(12節)。

ここでは牧師の働きが二つ書かれています。

  • 第一は、聖なる者つまり信仰者・キリストのからだにつながる信仰者・教会員を整えることです。キリストの体を築く働きができる人にすることを意味します。
  • 第二に教会員が、キリストのからだを造り上げるように導くことです。


 私たちが神から与えられた賜物を用いてキリストの体を作り上げていく時、そこに私たちの成長が現れるのです。その成長について、13節に書かれています。

「ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです」(13節)。

 ここでは私たちの成長が三つの角度から表現されています。一つとなること、成熟した人間になること、キリストの満ちあふれる豊かさを持つこと。


 ここで、「わたしたちは皆、成長する」とあるように、信仰者は、教会を造り上げる中で成長し、教会が築かれる中で、信仰者が成長するということです。信仰者の成長と教会の成長は、車の両輪のようなもので、一緒に成長していくことがわかります。
このことは16節にはっきりと書かれています。

「キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです」(16節)。

 「おのおのの部分は、分に応じて働いて」。信仰者一人一人が与えられた賜物に応じて働くのです。そして、そういう働きが補い合い、組み合わされ、結び合わされ、愛によってキリストの体である教会が築かれていくとあります。信仰者が、互いに愛し合い、教会を愛し、賜物を使って奉仕の業に自分を献げていく時、教会が愛の教会として築かれていくのです。


 「互いに愛し合う」といってしまえばそれまでですけれども、その内容は豊かです。たとえば互いに敬い、赦し、親切にし、励まし、支え、憐れみの心で接するなど、聖書の教えは実に豊かです。私は以前は、「互いに〜しなさい」という教えは、一種の道徳的な教えとしか受けとめていませんでした。それは間違いで、キリストの体なる教会を築くために、本質的に大切な教えであると今は考えています。


 教会が愛の教会として成長する時、13節では、信仰者の成長が、成熟した人間になる、キリストの満ちあふれる豊かさに達すると書かれています。

キリストの満ちあふれる豊かさとは何でしょうか。パウロ祈りが3章に書かれています。

「どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように」。

 私たちがキリストの愛のすばらしさを知り、私たちがキリストの愛に根ざし、キリストの愛にしっかり立つ者となるようにとの祈りです。パウロの切なる祈りです。こういう祈りを教会の指導者は祈るのです。忍耐強く祈り続ける祈りです。

 
私たちがキリストの愛に根ざし、しっかり立つ時、私たちが「神の満ちあふれる豊かさにあずかり、それによって満たされるように」と私たちの成長が書かれています。私たちが愛に根ざし、愛に立つ者となり、さらに私たち自身が愛に満ちた人になるようにと祈られています。これがキリストの満ちあふれる豊かさに達するということです。


 キリストの体である教会を造り上げる中で、その働きの中で信仰者が共に働く時に、愛が試されます。共に働く時、衝突が起きるからです。逃げることは簡単です。あの人がいるから教会には行かない。それは未熟さの現れです。しかし、そこで忍耐強く、愛をもって互いの関係を気づいていくのです。その時、人は愛する人に変えられ、愛の教会が築かれていくのです。15節で「愛に根ざして真理を語り」とありますが、愛があってこそ、本当のことを語ることができます。

 キリストの豊かさにまで成長するなんて、大変、無理、という感想を持つ人もいると思います。大切なことは、キリストを目指して歩む時、何ものにも代えがたい信仰者として生きる喜び、幸い、光栄が与えられるということです。


 これから、説教で、10個のポイントについて説教したいと思っています。私自身も通ってきましたし、皆さんも経験されていることだと思います。このポイントを知れば、きっと成長しようという思いを強くされると思います。12節の「聖徒たちを奉仕の業に適した者にする」ためのポイントです。

  1. 自分の無力さ、限界に気づいた。すべてを自分でしなければならない、わたしが頑張れば何とかなるという考えが、自分を行き詰まらせていたことを知った。
  2. 自分を超えた者、神に心を向けた。神、永遠、目に見えないものとのつながりを感じた。それでもなお自分を生かしてくれているものについて気づくことができた。神の愛を体験的に知ることができた。
  3. 自分のすばらしさを知った。良いものがすべて失われたわけではないことに気づいた。自分を愛するとはどういうことかがわかってきた。
  4. 人と人との比較の中で自分を見ることをやめ、自分との比較の中で人を見ることをやめた。私は自分の価値を確認するために他人を利用する必要がない。
  5. 私は自分の人生の主人になった。自分の人生を人のせいにすることがなくなった。神の前に立つ者として、周囲に振り回されない生き方を見いだした。
  6. 人とのつながりを再発見した。いかに人から愛されてきたかということを発見し、どう人に向かっていけばよいかがわかってきた。
  7. 現実をありのままに見つめ、受け入れている。現実がどんなに悲惨なものであっても、希望を失わず、前向きに生きることができる。
  8. 死に直面してもなお、生のすばらしさを信じている。この世のものを愛おしみ、かつこの世のものに縛られないと感じている。
  9. 祈りの中でいつも自分を見つめ、神の御旨を見つめている。神の御旨の実現と自分の霊的成長を何よりも大切に考えるようになった。
  10. 私は神に遣わされた者だと感じるようになった。日々の生活が輝きに満ち、愛と奉仕に生きる喜びを感じている。


 一緒に成長していきましょう。大事なのは、どこまで成長したかではなく、成長していることを喜ぶことです。私たちの成長は、この世の人々に希望を与えることになるでしょう。祈ります。

天の父、信仰の成長とは、信仰者が一人で個人的に成長していくことではなく、教会の成長と共にあることを教えられました。教会とは何なのか、もう一度新たに考えることができるように導いてください。
教会と深く関わる時に、キリストの体なる教会を築くことに自分を献げていくことに、大きな意味と価値のあることを教えてください。
そして成長の喜びを味わう時に、この世の人にもこの喜びと幸いを伝えたいという思いになりますので、その時は、私たちの口を開いて、人々に伝えることができますように。
教会と共に信仰成長させるというチャレンジにみんなで取り組むことができるように導いてください。イエス・キリストの御名により祈ります。