クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 目線。以前、ある牧師が自分の説教について「教える目線」になっているように思うと話した。トヨタ自動車の幹部がリコール問題で記者会見をした時に、ブレーキの不具合について、「踏み増せば止まる」と発言した。これを聞いた顧客の一人がショックを受けて発言した。「本当に不安だから苦情を言っているのに、メーカー目線でものを言う。『顧客第一』は言葉だけなのか」。以上中日新聞から。


 自分がどこに立っているのか、厳しく問われる。礼拝の説教で、内容的には教える面があるが、「教える目線」はよくないと思う。自分を上におき、聞く者を下におくので、聞く者は良い印象を持てない。説教だから、神の目線と、聞く者の目線と二つ必要で、神の目線から、恵みの福音を語り、聞く者の目線で共感する思いで語ることが必要なのだと思わされた。 加藤常昭牧師の説教分析に従うなら、神の名による言葉と、聞く者の言葉の二つが説教には必要ということになる。


 この頃、パソコンのディスプレイを見過ぎなのかどうかわからないが、目が疲れる。


 今日は昼食は外食。キャトルセゾンというフランス料理店である。ランチなので、気楽に入り、気楽に食べることができた。久しぶりにゆっくりと妻と向かい合って、おしゃべりしながらの食事。こういう時には、ワインがあると良いなあと思うが、昼食だから無理。昨年の春からの宿題として抱えていた課題をまとめることができて、一安心。よい一日だった。