クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

本日のメッセージ(2010.5.23)
聖書 使徒言行録 2:1〜13 聖霊の賜物を受けて生きる


 クリスマスという言葉は皆さんよく知っている言葉だと思います。12月になるとクリスマスという言葉がテレビ、ラジオ、新聞など至る所で使われます。クリスマスはキリスト教で使われる言葉です。救い主イエス・キリストの誕生をお祝いするお祭りのことをクリスマスと言います。


 イースタという言葉は、どれほど知られているのでしょうか。イエス・キリストの復活をお祝いするお祭りをイースタと言います。イエス・キリストは十字架で処刑されて死にましたが、三日目に甦ったといううれしい知らせがあります。このキリストの甦りを喜び祝うのがイースタです。


 ペンテコステという言葉はあまり知られていない言葉です。ペンテコステというのはギリシャ語で数字の50を意味します。つまりイエスが復活してから50日後、の意味です。ペンテコステと呼ばれる日は、教会の誕生日ということができます。キリストの教会が誕生した日、それをペンテコステと呼び、今日がそのペンテコステの日です。


 クリスマスとイースタとペンテコステ、この三つを教会では大切な日としてお祝いします。この日には、聖餐式と呼ばれる儀式を行い、イエス・キリストが私たちの救い主であることを深く覚える時を持ちます。ペンテコステは、教会の誕生日です。どのようにして教会ができたのか、今日読んだ聖書はその発端を物語っています。


 今日読んだ聖書には「聖霊」という言葉が出てきます。聖なる霊、神の霊を意味します。霊ですから目に見えませんが、とても大切な働きをするのです。イエス・キリストは十字架で死に復活され、私たちのための救いの業をしてくださいました。聖霊

  • 私たちにイエス・キリストを信じさせる働きをします。
  • さらに、私たちの心を清める働きをします。聖霊は私たちに直接働きかけてくださいます。
  • 神様を信じたいと思う人は聖霊の導きを祈り求めるのが近道です。自分の心が清められたいと思う人も、聖霊の導きを求めるのが近道です。

 今日は、この聖霊についてお話をします。

「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると」。

 イエスの弟子やイエスを信じる人たちが一つになって集まっていました。彼らは祈っていたのです。それは神様が聖霊を送ってくださるのを待っていなさいと言うイエスの言葉に従って、祈って待っていたのです。10日ほど祈り続け、そして五旬祭の日が来ました。50日目の祭りの日ということですね。彼らが祈っていると、突然激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえたというのです。どんな音だったのでしょうか。ビュービュー、ヒューヒューという感じでしょうか。


 すると炎のような舌が分かれ分かれ現れ、そこにいた人々の上にとどまったとあります。人々の上に聖霊、神の霊が降ったのです。

「すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」(4節)。

聖霊が降り、人々は聖霊に満たされ、語り出したというのです。しかも他の国の言葉、つまり外国語で。


 13節を見ると、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける人がいたとありますから、イエスの弟子たちは、テンションが高いというか、気持ちが高ぶった状態にあったと思われます。

「この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった」(6節)。

 家の中にいた人たちの上に霊が降り、彼らが聖霊に満たされて外国語で何かを話し出し、家の外に出て、なおも外国語で話していたので、そこに来た人々はそれを見て驚いたのです。おまけにガリラヤ出身である弟子たちが、つまり外国語を知るはずのない人が外国語で話すのですからこれは不思議です。ガリラヤというのは田舎です。そこに住んでいたイエスの弟子たちが知るはずのない外国語で話し出すのですから、それを見ていた人たちは驚きます。

エルサレムには、天下のあらゆる国から帰ってきた信心深いユダヤ人が住んでいた」(5節)

とあります。イスラエルの国は何回か外国の侵略に遭い、捕虜となった人は外国に連れて行かれたという事情があり、色んな国にユダヤ人は住むようになったのです。信心深いユダヤ人は、エルサレムに戻り、エルサレムに自分の墓を造り、そこに葬られたいと考えていたので、エルサレムに戻って住んでいた人たちが沢山いたわけです。その人たちが、自分たちが以前住んでいた国の言葉で話すのを聞くのですから驚きます。

「どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか」(8節)。

 外国語を知らない人が外国語で話せるはずがないのに話している、これは驚きです。あり得ないことが起きているのです。驚くだけではなく、気味が悪いです。


 イエスの弟子たちもなぜ、自分たちが外国語で話すようになったのかはわからなかったでしょう。ただ待ち望んでいた聖霊が自分たちに降った結果であることはわかったと思います。


 だから喜びに満ちていたと思います。彼らが外国語で神の偉大な業を語るのを聞いた人々が、弟子たちがぶどう酒に酔っているように思ったのも無理からぬことでした。弟子たちは気持ちが高ぶっていたのでしょう。そこにいた人々は、どうして、弟子たちが外国語で話すような出来事が起きているのか理解できませんでした。理解できるはずがありません。あり得ないことですから。弟子たちは、それが神の働き、神の業であることを知っていました。祈って待ち望んでいた聖霊が降ったのですから。


 イエスが言ったように、弟子たちに聖霊を送るという神の約束が実現したのです。救い主であるイエスの誕生も、イエスの十字架の死と復活も、神様の計画の中で約束されていたことでした。そして聖霊が弟子たちに降ることも、神の約束として実現したのです。

「すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」(4節)。

 「霊が語らせるままに」とありますが、これは霊に取り憑かれて自分の意志を失い、あたかも霊に乗っ取られて自分の意志とは無関係に、言葉を出したというのではありません。勝手にあごが動いて言葉が出たというのではありません。神の霊に導かれながら、しかし自分から弟子たちは語ったのです。


 聖霊に導かれて神の業を語る、ここに教会の働きの出発点があったのです。外国語を話す弟子たちの姿、それはキリストが救い主であるというメッセージが世界中に宣べ伝えられることを示しています。聖霊に導かれて神の業を語る、ここに教会の働きの出発点があったのです。今でも、礼拝において説教がなされますが、説教者は聖霊の導きを祈って説教をします。そして説教を聞く人々の中から今も信仰者が起こされていきます。


 聖霊は、聖霊に導かれて語られた言葉を聞いた人を導き、神を信じるように導きます。使徒言行録は、今日の出来事の後、ペトロが話したことを記録していますが、ペトロの話を聞いて心を打たれた人がイエスを信じたと書いてあります。心を打たれた、それは正に聖霊の働きに他なりません。

聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです」(コリント一12:3)。

 聖霊がイエスが救い主であることを私たちに教えてくださいます。イエスを信じたい、そう思っている方は、聖霊の導きを祈り求めるのが賢いと思います。


 弟子たちは聖霊に満たされて語りました。聖霊に満たされるとどうなるか、ということが使徒言行録に書いてあります。

「皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだした」(使徒言行録4:31)。

 大胆に語る、言い換えると確信を持って語るということです。聖霊に満たされた弟子たちは、神の偉大な業を語りました。信仰者にとって大切なことは、聖霊による確信、この確信から生まれる大胆な行動です。確信を持って信仰に立つ歩みができるようになります。イエスが逮捕された時イエスを見捨てた弟子たち、イエスを裏切ったペトロ、彼らは聖霊に満たされた後、迫害をも恐れずにイエスを宣べ伝える人になりました。神に対する確信、神の言葉に対する確信を与えるのが聖霊です。聖霊に満たされ、確信を持って信仰の歩みをする、これが信仰生活の急所です。


 誰が聖霊に満たされるのか、それは聖霊を待ち望む人です。

  • イエス・キリストの証人になることを願う人です。
  • エスを信じて生きることは素晴らしいということを人に伝えたいと願う人です。
  • 神様の御言葉に立って生きることは素晴らしいと人々に伝えたい人です。
  • そのために必要なことはただ一つ、聖霊に満たされ、その助けを得ることです。つまり祈り求めることです。そして祈り求めたら、聖霊の働きを信じて、信仰を持って歩むことです。


 聖霊が送られることを祈りをもって待ち望んでいた弟子たちの上に聖霊が降った、それがペンテコステの日の出来事です。この日以降、信仰者は、聖霊が自分に降るのを待ち望んで祈る必要はありません。なぜなら、信じる人には聖霊が賜物として与えられるからです。

「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます」(使徒言行録2:37)。

 ペンテコステの日のペトロの説教の言葉です。今は、聖霊が待っておられるのです。

  • エスを信じたい、イエスの証人になりたい、
  • エスの素晴らしさを伝える人になりたい、
  • 神の言葉に立って生きることの素晴らしさを伝える人になりたいと、

 私たち自身を差し出すことを、聖霊は待っておられるのです。私たちが自分の罪を悔い改め、清めて欲しいと悔い改めの心を差し出すのを聖霊は待っておられます。私たちが自分を差し出す時、聖霊は働いてくださいます。


 聖霊の働きがこの時から今の時代まで、そして世の終わりまで続いていくことでしょう。私たちもまた、聖霊の働きを受けて、大胆に確信を持って信仰の歩みをしていきましょう。また聖霊の導きを頂いてイエスを信じる人になりましょう。


祈り

 天の父、あなたがイエスの弟子たちに聖霊を与え、聖霊に満たし、彼らが福音を宣べ伝えたことを感謝します。時の流れを越えて、聖霊に満たされた説教者が福音を語り続けてきました。そして教会は世界中に広がり、多くの人がイエス・キリストを信じるようになりました。あなたの救いのみ業の進展を感謝します。
 天の父、イエスに関心を持ち、信仰に関心を持ち教会の礼拝に連なっている人たちに背入れ様が働きかけてください。そして確信を持って神様を信じ、イエス・キリストが救い主だと信じることができるように導いてください。
 また信じる者たちに、聖書の言葉、神様の言葉に対する確信を与え、大胆な信仰の歩みをすることができるように導いてください。
 また私たちの罪によって汚された心を清めてください。私たちの心を清める聖霊のお働きを感謝をもって受け取ることができるように導いてください。
イエス・キリストの御名により祈ります。