クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 暑い日が続く。


 毎朝、NHKの連続ドラマを見ている。漫画家水木しげるの妻の書いた『ゲゲゲの女房』を原作にしたドラマで、非常に面白い。時々、心に残る台詞がある。水木しげるのアシスタントをしている漫画家志望の青年に「近道をすると、その先は行き止まりだ」と焦る態度に警告をしていた。牧師も、いい説教をしたいと願う。どうしたらと考える。近道はない。今、僕は、説教分析を学んでいるので、先輩の説教の分析を少しずつしている。そしてそこから学びたいと願っている。


 水木しげる著『カランコロンの漂白記』を読み終えた。漫画が半分だからすぐに読める。この中にも味わい深い言葉があった。

「人間は生きようという意志の強弱があって、意志の弱い人から死んでいったように思う」。

 これは彼の戦争体験からの言葉である。「どうしても生きるんだ、という強い意志があれば、どんなところでも生きられるはずだ」。「目には見えないけれども、意志の力・・みたいなものは、案外バカにならないなといつも思う」。おのれの人生から紡ぎ出す言葉っていいなあと思う。


 剣岳という山がある。険しい山であるが、百名山に含まれており、登山する人が多い。時々、岩場で滑落事故で死ぬ人がいる。僕も登りたいとは思うが、途中で足がすくんだらどうなるのか、と思うと登れない。実際に行けば、前進するしかないので登るとは思う。しかし、生きるという意志力の弱さを僕は感じる。何かの場面で生きることをあきらめる、そんな弱さが自分にあることを思うので、意志力を試される場面には直面したくないという思いがあり、剣岳には登る計画は立てない。今は、登るだけの体力もないが。


 牧師としての働きにおいても、生き抜いて、これだけは何とか成し遂げなければならないという思いも弱い。それをするために生きなければならないという強い思いはない。牧師の働きは、自己実現ではなく、神に用いられる働きなので、自分の思いでここまではしなければと我を張る必要はないし、我を張ることは間違いである。命を与えられている限りは、精一杯仕えることが大事だと思っている。