(内容)
アハブ王の妻イゼベルはエリヤに対して怒り、一日以内にエリヤを殺すと自ら誓います。これを聞いたエリヤは恐れ、逃げます。そして、えにしだの木の下に座り、祈ります。「主よ、もう十分です」。神の使いがエリヤを神の山ホレブへ導きます。そして神とエリヤの対話がなされます。結果として、神はエリヤに代わる預言者を立てることになります。
(聖書理解のための黙想)
☆エリヤについて。
- エリヤは神に向かって「わたしは情熱を傾けて主に仕えてきた」と語ります。そのことは聖書には書かれていませんが、イスラエルの民を神に立ち帰らせようとする預言者としての働きをしてきたと思われます。アハブ王の妻イゼベルは主の預言者を殺しています(18:13)。またイスラエルの人々も預言者を殺しています(19:10)。エリヤは主の預言者は自分一人だけになってしまったと神に語っています。イスラエルの民は神に立ち帰る様子はなく、かえって預言者を殺している現実があります。エリヤは、深い絶望感を感じているのではないかと思います。
- そのエリヤに神は語り、バアル預言者との対決を命じられました。このことは聖書に書いてありませんが、神の指示のもとで対決を行ったのは確かだと思います。この対決において主は勝利し、イスラエルの民は「主こそ神です」と告白しましたが、本当に主に立ち帰るかどうかは疑問です。エリヤは、イスラエルの民が立ち帰るとは考えていないと思います。そして自分はイゼベルにより命を狙われます。えにしだの木の下で「主よ、もう十分です」と祈り、さらに「私の命を取ってください。私は先祖にまさる者ではありません」と祈ります。エリヤは深い絶望感、孤立感、無力感を感じています。そして命を狙われ、なぜこんな目に遭うのか、と惨めさも感じていることと思います。こうなったなら、死んだ方がましとエリヤは考えました。エリヤは老境にあり、もう主に仕える気力が衰えてしまったのではないかと推測します。
- エリヤが感じた絶望感、孤立感、無力感、惨めさ、これらは福音を伝えたいと願う人のだれもが味わうものだと思います。
☆主なる神について。
- そんなエリヤを神さまは、御使いを通して、神の山ホレブに導きます。そこへ行くのに40日40夜かかったというのですから、容易なことではありません。これは耐えがたい旅だと御使いはエリヤに言います。でもエリヤは励まされてその旅をし、神の山ホレブに着きます。すると神さまが言います。「エリヤよ、ここで何をしているのか」。この神の言葉は、エリヤに自らの歩みを吟味するように促す言葉です。この言葉は、エデンの園において、神がアダムに語った言葉を思い出させます。神はアダムに言います。「どこにいるのか」。アダムは神から逃げ、身を隠したのです。エリヤは「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください」と神に祈りました。そのエリヤに「何をしているのか」と神は言うのです。しかもエリヤは神の山ホレブに来ました。困難な旅をしてまで、ここに来ました。なぜ、ここに来たのか。あなたは何をしようとしているのか、と神は語られました。
- エリヤは正直な気持ちを伝えます。預言者はもう自分一人しか残されておらず、その自分も命を狙われています、と。打ちひしがれているエリヤに対して、神さまはご自身を現します。激しい風が起き、その後に地震が起こりました。さらには、火がおこったとあります。これらは主の臨在のしるしです。そして主のささやく声がエリヤの耳に届きます。そして神はもう一度言います。「エリヤよ、ここで何をしているのか」。これは先の問いと同じ、繰り返しです。神はどんな答えをエリヤに期待していたのでしょうか。
☆再びエリヤについて
- エリヤの答えは、先の答えと同じです。神さまがご臨在を現したのに、エリヤの答えは変わることなく同じでした。神がご臨在を示されたことは、エリヤに何の影響も与えなかったようです。絶望感、孤立感、無力感にとらわれているエリヤは、神さまの臨在に触れながらも、そこから抜け出る気持ちにはならなかったようです。エリヤはもう疲れを覚えていたのです。老境の今、自分はすべきことはしたという思いなのでしょうか。
☆再び神について
- 神はエリヤに最後の使命を告げます。そしてエリヤに代わる預言者を立てることを神は告げます。
- そして神はエリヤに言います。「わたしはイスラエルに七千人を残す」。神を畏れる人々は七千人いると告げました。残された預言者は私一人だけですと絶望していたエリヤに対して、「違う」と神は答えたのです。神はエリヤに何かを期待していたのでしょうか。それは分かりません。
- 神は「七千人を残す」と語ってから「ここで何をしているのか」とエリヤに問いかけたのではありません。神は励ましの言葉を与え、エリヤの決断を迫ったのではありません。神はすでにご臨在を表し、「ここで何をしているのか」と問い、なおエリヤを神の業に遣わそうとしていたのだと思います。もしエリヤが、何らかの形でなお神の業に仕える気持ちを告白すれば、「七千人残す」の言葉は励ましの言葉になったと思います。しかし今、エリヤはこれを励ましの言葉としては聞くことができなかったと思います。「そんなにいるのなら・・」と後悔の思いがあったかもしれません。神さまは時に、私たちが信仰の決断をしてから、励ましの言葉を語られます。
- 神さまは、エリヤに代わる預言者としてエリシャを立てることにしました。あなたの代わりはいくらでもいますが、でもあなたを用いたいと神はおっしゃるように思います。
<今日はここまで>