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隠退牧師 holala によるブログ

列王記下23章


(内容)
 律法の書が発見され、ヨシヤは大胆な行動を取りました。異教的な宗教設備をすべて破壊し、排除しました。そして長らく行われていなかった過越祭を祝いました。彼のように全くモーセの律法に従って心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして主に立ち帰った王は、彼の前にも後にもいなかったと賞賛されています。彼の死後、王位を継いだ彼の子ヨアハズは、主の目に悪とされることをことごとく行いました。王位は継承しましたが、信仰は継承しませんでした。


(黙想)

  • ユダ王国においては、主に忠実な王が何人もいました。ダビデ、ソロモン、ウジヤ、ヒゼキヤ、ヨシヤ。王位はその子に継承されても、信仰は継承されるとは限りませんでした。継承されないことが多いです。なぜなのかと思います。ヨシヤの時代、律法の書が発見されました。そこには神の律法(戒め)が書かれていました。主なる神への信仰は、イスラエルの民の間だで受け継がれていたことと思います。それが証拠に、今、旧約聖書が残っています。イスラエルの歴史は、ある意味で主なる神に対する背信の歴史でした。でも信仰は受け継がれました。しかし背信の結果、国家が滅びたのも事実です。
  • 信仰が継承されるためには、信仰の媒介となる物が必要であることを思います。私たちには聖書があります。イスラエルの場合は、律法の書がありますが、それは長い間隠されていました。口頭で信仰のことが語り継がれたのだと思います。それは危ういもので、信仰の継承という点で不十分なものでした。
  • 私たちには聖書があり、教会があり、教会は礼拝を通して、福音を宣べ伝えてきました。そしてキリストへの信仰は今日まで受け継がれてきました。しかしこれからはどうなるのか、不安です。ヨーロッパでは、教会の礼拝に集う人が激減しているそうです。日本の教会でも高齢化が進み、教会の将来は、決して明るくありません。ただ神さまの教会なので、教会が全く衰退することはないと信じます。でも信仰の継承は大切な課題です。家族に信仰を受け継いでもらいたいと家族の救いのために祈っている方も多くいらっしゃいます。
  • ヨシヤ王が信仰の刷新の努力をしても、彼が亡くなった後、王位を継いだ息子は信仰は受け継ぎませんでした。空しさを感じさせる今日の聖書箇所です。神さまはこのような状況をどう思われるのでしょうか。


数日間、この箇所を思いめぐらしましたが、この箇所のデボーションはここでおしまい。