今日はいい天気。青空がきれい。
朝起きて、昨日からの満たされた気持ちが続いている。静かにこの気持ちを大切にしたいと思わされる。月曜日でもあるので、久しぶりに外の空気を吸いたくなって、夕日寺健民自然園に行った。自然園に入ると雪で真っ白。ここは里山で、踏みしめた跡のない雪道をたどってコナラ広場まで登る。広場と言っても小高い山のてっぺんである。静かで空気が透き通っている。動物の足跡が幾つかある。自然の中に身を浸して帰る。午後は靴を階に行く。こだわりがあってナイキのカジュアルシューズを買う。今の靴もナイキの靴で10年近く履いてきた。丈夫で履き心地が良かった。
先週金曜、「金とく」という番組があって、九頭竜川(福井県を流れる川)の四季を描いていた。その中で僕の好きな音楽がBGMとして流れていた。曲名を知りたくて、NHK福井放送局にメールを出した。あまり期待していなかったが返事が来てうれしかった。どの場面で流れていた曲かの説明が曖昧だったので、教えてもらった曲は違っているみたい。で、録画をもう一度見て、その曲が流れている場面を特定した。もう一度メールをしてみようと思う。
昨日の夜から深く満たされた気持ちがどうして生じたのかを考えている。考えられることが二つある。その二つのことを実は日曜の説教で語っていた。
一つは、自分が罪を悔い改めたことを語ったこと。日々の祈りの中で、気づかずして犯した罪があれば気づかせてくださいと僕は祈っている。説教で悔い改めたことを話そうと思っていたが、説教する直前に、神が祈りに答えてくださっていたと気づき、うれしくなったことである。神の憐れみを受けていることを思わされたことである。
今ひとつは、我々は、神の恵みを当たり前と受けとめる傾向があること、当たり前を恵みとして感謝することの大切さを語った。手が使えること、歩けること、見えること、聞こえること、健康であること、みな感謝すべきことであるのに、我々は当たり前に思っている。この当たり前を少しずつ神に感謝できるようになってきたので、恵みを感謝するように語ったのである。
この二つのことが満たされた思いを導いたのだと思う。そして今思い出したのだが、日曜の夜、神をとても親しい存在として感じていた。それが深く満たされた思いの内容だと思う。