クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

本日のメッセージ(2008.4.6)
聖書 コリント一13:4〜7 愛はすべてに耐える

 愛がすべてに耐えるのは何のためでしょうか。それは愛し合う関係、愛の交わりを作るためです。そして耐える心は賜物として与えられています。


1.キリスト信仰に生きるあなたは教会形成に参加するだろう 


 コリント一13章は、愛の賛歌と呼ばれています。パウロがこの愛の賛歌を書いたのは、コリント教会が問題だらけの教会だったからです。問題解決のための教えをパウロは書いていますが、根本的な教えとして、愛の教えを書いています。愛がなければ何をしても空しいと、愛を教えます。

 パウロは信者が互いに愛し合っている教会が築かれることを願っているのです。イエス様も「互いに愛し合いなさい」と弟子たちに教えました。

 教会の大切な特徴は信仰者が互いに愛し合っていることです。この特徴、あなたはどう思いますか。
 互いに愛し合っている教会なんて理想。そんな教会を造るなんてしんどいわ、このままではいけないの、という人がいるかもしれません。教会よりも自分の生活が大切という人もいるでしょう。たとえば、家庭。家庭もまた愛が基本です。

 愛のない家庭は、喜びや平和に欠けるでしょう。愛することをどこで学んで愛のある家庭を築くのでしょうか。

私たちは、教会で愛することを学ぶのです。だから人々が互いに愛し合う「愛の教会」を造り上げることに参加することは大切なことです。それによって愛を学び、愛のある家庭を築くことができるようになります。

 聖書が描く教会、それは信者が互いに愛し合っている教会、愛の教会です。愛の教会を築くことは神のみ心であり、神の計画に一致します。
歴史における神の計画があります。

「あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです」(エフェソ1:8)。

信者が互いに愛し合って一つになっている姿、それは神の計画の初穂なのです。それをキリストの体なる教会と呼びます。

 愛の教会を築くということは社会に目を留めない内向きの態度ではありません。愛し合う交わりの中で支えられ、励まされて私たちはこの世へ出て行くことができます。教会における励ましがないと、私たちはこの世と妥協してしまうのです。だから、愛の共同体を築くことは、信仰に生きる者にとって、本当に大切なことなのです。だからキリスト信仰に生きるあなたは愛の教会を築くことに参加するようになります。

 この教会の牧師として私は、愛し合うために、分かち合うことを課題として掲げてきました。お互いの顔はよく知っているけど、それ以上のことは何も知らない、それは愛し合っているとは言えません。互いにどんな人なのか、何を考えているのか、どんな信仰に生きているのか。まず互いに語り合って相手を知る、そこから愛が生まれると信じて、分かち合うことに力を入れてきました。


2.キリスト信仰に生きるあなたは忍耐に価値を置くだろう 


今日取り上げる聖書は、「愛はすべてに耐える」です。

「すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」。

この7節は、サンドウィッチです。忍耐という二枚のパンの間に、信仰と希望が挟まれています。

 忍ぶと耐えるは言葉は違いますが内容的には同じと考えてよいです。なぜ、忍耐が繰り返されているのでしょうか。私の解釈はこうです。

 忍耐は、信仰と希望を持ち続けるのに必要なのです。信仰と希望は、忍耐をし続けるために必要なのです。忍耐と信仰、忍耐と希望は、お互いに必要としあっているのです。
旧約の創世記にアブラハムが登場します。彼は、神から約束を与えられるのです。あなたの子孫は大いなる国民となる、と。アブラハムが75才の時に与えられた神の約束です。なかなか子供が授かりません。待ち続けることができなくなって、召使いの女との間に子供を得ます。でもそれは神が与えたもう子ではありません。神が与える子を授かるには、まだ待たなければなりませんでした。忍耐しなければなりませんでした。

 そして彼が99才の時、神は「来年の春、あなたの妻は子を産むだろう」と約束しました。そして実際、彼は子を得ました。

 このアブラハムの物語を読む時、忍耐が希望と信仰を支えることを知ります。信じられなくなる時、忍耐して信じるのです。また希望と信仰が忍耐を支えることを知ります。忍耐できなくなる時、信じ、望むのです。

 愛し合う関係を築こうとする時には、忍耐が必要となります。なぜなら、我々は罪を犯す存在。不完全な存在だからです。私たちは誤解したり、人を傷つけたりします。すると人間関係にひびが入ったり壊れたりする可能性があります。そこで愛が試されるわけですが、「もういいや、やめた」と教会を築く歩みが中断することだってあります。またみんなが協力して力を合わせるには時間もかかります。

 忍耐が必要です。だから忍耐に価値を置くことが大事です。忍耐しないで切れてしまっては、愛の教会を築くことは難しいです。キリスト信仰に生きるあなたは忍耐に価値を置くようになります。


3.キリスト信仰に生きるあなたは愛の教会を目指すだろう 


 愛というのは、もともと愛し合う関係を目指すものです。夫婦は愛し合うことによって、良い夫婦関係を築きます。愛は、愛に生きる関係を作ることを目指します。

 愛は、家庭においては夫婦、親子が愛し合う家族となることを目指します。愛は、職場では、互いに協力して良い成果が出ることを目指すでしょう。教会は、愛することを教えられ、愛そうとする人々の集いです。神から、愛することを教えられている人々の集まりです。

 教会は、愛し合う信仰者の交わりを目指すことになります。愛の教会を築くことは大切です。教会が、愛の学校、愛の訓練の場だからです。教会は愛の交わりが築きやすい場なのです。皆信仰者で愛することを大切にするからです。愛することを学ぶことができるのです。

 その結果として、私たちは、家庭で職場で、その他、私たちが生きる場における人間関係に適用できるのです。だから教会を築くことが大切となるのです。

 2008年度は愛し合う教会を築くための一歩を踏み出します。互いに愛し合う関係を築くために、分かち合う場を作ります。そこで互いに励まし合い、支え合う関係を築いていきます。是非、参加して欲しいと思います。

 聖書が描く教会、それが信者が互いに愛し合っている教会です。そういう教会を見たことのない人は、イメージできないかもしれません。愛し合う教会のモデルは、残念ながら少ないので、目にすることができません。新しいものを作る人は、見たことのないものを作ります。夢を見て、それを実現していくのです。

 教会で愛し合うことを学び、それを家庭に持ち帰り、愛に満ちた人生を送ろうではありませんか。教会総会資料に、「私たちが目指す教会」という文章を書きました。じっくり読んで下さり、愛し合う教会の建設に共に力を尽くしましょう。