クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

牧師として悲しい時がある。


それは、人々が聖書に基づいて考え、行動せず、人の言葉や自分の思いで考え行動していることを突きつけられた時である。


牧師として奮起する時がある。


それは、人々が聖書に基づいて考え、行動せず、人の言葉や自分の思いで考え行動していることを突きつけられた時である。


奮起するには祈りが必要だ。「天の父、アダム以来、人間はあなたの権威を認めず、自分の思いで生きてきました。だからこそ、聖書を説き、御言葉の真理、すばらしさ、恵みを語ってきました。これからも語っていきます。導いてください」と。


 チョウが来るようにと植えたブットレア。花も盛りを過ぎてまもなく終わろうとしている。風も涼しくなり、チョウの活動時期も終わりに近づいている。ツマグロヒョウモンが行く秋を惜しむかのようにブッとレアから蜜を吸っている。「行く秋を惜しむ」というのは、僕の気持ちだ。蝶はできる限り命を長らえ、卵を産んで子孫を残そうとしている。鉢に植えたスミレの葉は、みなツマグロヒョウモンの幼虫に食べられてしまった。