クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ


↑山の中に分け入って出会ったもの。びっくり。


 日曜の礼拝が始まる5分前に、礼拝参加者が皆、気持ちを静め、礼拝に臨んでいたらよいと思う。昔のことであるがK牧師がH教会の礼拝に行った時、「負けた」と思った、と話すのを聞いたことがある。


 H教会では、礼拝が始まる前、信徒たちは心を静めて、礼拝を待ち望んでいたのである。K牧師は、自分が仕える教会はまだそこまで整えられていなかったので「負けた」と感じたらしい。


 僕には、勝ち負けを感じる思いはない。張り合う気持ちもない。礼拝に臨む者たちが皆心を静めて礼拝を待っている姿は素晴らしいと思う。礼拝が始まってもバタバタと礼拝度に入室する者が何人もいるのはほめられたことではない。


 どうしたらそのように整えられた礼拝を迎えることができるのだろうか。方法は二つ。一つはしつけである。礼拝は神の前に出るものであるから、開始前に着席し、心を静めて礼拝に臨むものであると、しつけることである。


 もう一つは、神を畏れて生きる信仰者を育てることである。真に神を畏れるなら、礼拝に遅刻してバタバタと入室することなど考えられない。会社には遅刻しない人が礼拝に遅刻する、これはどういうことか。神を畏れる信仰にまでまだ成長していないということだろう。


 僕は、神を畏れて生きる信仰者を育てることに力を注ぎたいと考えているし、そのようにしている。