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隠退牧師 holala によるブログ

 第九日 何が神を微笑ませるのか

暗唱聖句

「主は、主を礼拝し、その愛に信頼する者たちを喜ばれる」(詩篇147:11)


1.要約A

 人生のゴールは、神に微笑んでいただくことです。
 その具体的なモデルは、ノアです。

神に微笑んでいただくための五つの原則。

  • 私たちが何にもまして神を愛する時、神は微笑まれる。
  • 私たちが心から神に信頼する時、神は微笑まれる。
  • 私たちが心から神に従う時、神は微笑まれる。
  • 私たちがいつも神をほめたたえ、神に感謝する時、神は微笑まれる。
  • 私たちが自分の能力を発揮する時、神は微笑まれる。


2.要約B

  • 人生のゴールは、神に微笑んでいただくことです。
  • その具体的なモデルは、ノアです。
  • 神に微笑んでいただくための五つの原則。
  1. 私たちが何にもまして神を愛する時、神は微笑まれる。
  2. 私たちが心から神に信頼する時、神は微笑まれる。
  3. 私たちが心から神に従う時、神は微笑まれる。
  4. 私たちがいつも神をほめたたえ、神に感謝する時、神は微笑まれる。
  5. 私たちが自分の能力を発揮する時、神は微笑まれる。


(1)私たちが何にもまして神を愛する時、神は微笑まれる。

  • エスが教えられた聖書の中の最も大切な教えは、神を愛することである。
  • 神の愛に応えて神を愛していく時、神は微笑んでくださる。
  • 神を愛し、神に愛されることは、あなたの人生において最も大切な目的です。
  • そのために、神のことをよく知り、神と一緒に過ごす時間を多く持ちたい。


(2)私たちが心から神に信頼する時、神は微笑まれる。

  • 心から神に信頼するということは、自分の人生の最善を一番よくご存じなのは神であると信じることです。
  • あなたは、神がその約束に真実なお方であること、あなたの抱えている問題に手をさしのべて下さること、そして必要ならば不可能と思えることでも可能にして下さることを期待してよいのです。
  • 神の仰せを全面的に信じ、従うことが、心からの信頼である。
  • 神に信頼することは礼拝そのものである。


(3)私たちが心から神に従う時、神は微笑まれる。

  • 神に対する従順は、神への愛の証である。
  • 心から従うということは、熱心に喜んで行うということです。
  • しばしば私たちは部分的に従おうと試みますが、それは不従順です。
  • 時に従う理由がわからない時もあるが、従う中で理由が明らかにされる。
  • どのような従順な行為も、礼拝行為です。


(4)私たちがいつも神をほめたたえ、神に感謝する時、神は微笑まれる。

  • 人からほめられ、また感謝されることほどうれしいことはありません。これは神にとっても同じです。
  • ノアは、祭壇を築いて動物の犠牲を献げました。私たちは、動物の犠牲の代わりに、神に「賛美のささげもの」と「感謝のささげもの」をするように教えられています。
  • 私たちが神をほめたたえ、感謝する時、素晴らしいことが起こります。私たちが神を喜ばせる時、私たちの心は喜びで満たされるのです。


(5)私たちが自分の能力を発揮する時、神は微笑まれる。

  • 神があなたのことを喜んで下さる時というのは、いわゆる霊的な信仰的な活動をしている時だけでありません。罪を除けば、神を崇める姿勢をもって行われる人間の営みはすべて、神を喜ばせる行為となります。
  • 子どもを誇りに思う親のように、神が特にあなたが与えられている賜物を用いて、その能力を十分に発揮することを喜ばれます。与えられている能力は神を喜ばせるために使うべきなのです。
  • 神はまた、あなたが神のお造りになったものを楽しむことを喜ばれます。・・・神への感謝が伴う時、楽しむという行為はすべて礼拝になります。
  • 親が子の成長の過程を見守ることが親の喜びであり楽しみであるように、神は、あなたの霊的成長のすべての段階においてあなたを愛し、あなたを喜んでおられるのです。
  • 神が見ておられるのは、あなたの心の態度です。神に喜ばれることは、あなたの最も深い心からの願いでしょうか。永遠の光に照らされて生きる時、あなたの焦点は、「自分は人生をどれほど楽しめるか」ということから、「神は、私の人生をどれくらい喜んで下さっているだろうか」と言うことに変わっていきます。


3.テキストを読んで

 自分が生きていることを神がんでくださっていることを強く認識したいと感じた。自分としては、一生懸命に生きているつもりであるが、そのことを神が喜んで下さっている、ということを覚えたいと思った。


 日々を振り返り、自分の行ったあのこと、このことを神が喜んでおられることを確信したいと思う。逆に、神を悲しませることをしているのであれば、悔い改めなければならない。一日を振り返ることがとても大切であると知る。


 特に新鮮に感じたのは、私たちが、神のお造りになったものを楽しむことを、神が喜ばれるということである。神への感謝が伴う時、楽しむ行為はすべて礼拝になると教えられ、楽しみたいと思ったし、楽しむ人生を歩みつつあると思っている。


 また私たちが自分の能力を発揮する時、神は微笑まれるというのも新鮮である。自分の力なんか、たいしたことはないと思ってしまうが、精一杯、自分の能力を用いることを神が喜ばれることはうれしいことであり、このような喜びをきちんと味わっていきたい。


4.熟考すべきポイント

 わたしが神に信頼する時、神は微笑まれます。

 なぜ、「信頼する」ことが熟考するポイントに選ばれたのか。神を愛することでもなく、神に従うことでもなく、神をほめたたえ感謝することでもなく、信頼することがなぜ、取り上げられたのか、と考える。信頼するというのは、神との関わりの第一ではないか、と思う。信仰生活の出発は神を信頼することである。信頼することの積み重ねの中で、神を愛すること、神に従うこと、神に感謝し、たたえることが生じるのではないか、と思う。


 基本的には、神に信頼して歩んでいるつもりである。過去を振り返り、神に信頼する分岐点は、ディボーションである。御言葉の適用に生きることを始めた時、神に信頼する歩みができたと思う。というか、神に信頼するとは、神の言葉に信頼することという理解が僕にはある。神が語られることを真実として信頼し、聞き従うことが信仰に生きることであると思っている。ディボーションしなければ、自分の思いで生きることとなり、神を信頼する歩みができなくなるのではないか、と考える。神を信頼するから、御言葉の導きを僕は求めて生きる。


5.考えてみましょう

 神があなたの最善をご存じなのだとすれば、あなたの人生において神に最も信頼する必要のある領域は何でしょうか。

 逆に考えると、自分には、神を信頼しないで生きている領域があるだろうか。僕自身の弱点がある。僕は人と関わることが苦手であり、独りでいる方が好きである。しかし、信仰者となり、人を愛することを神の戒めとして与えられている。人と関わる時、うまく関われるだろうか、との心配や、うまくいかなかったらどうしようという思い煩いがある。避けようとする弱さもある。人との関わりの領域で、神に信頼することが大切であるように思う。


 先日、ある人のために労を執らなければならなくなった。どうしたらいいのか、考えもしたが、結局は、案ずるよりも産むが易し、であった。神に信頼し、祈って行動すればよいとあらためて学んだ。