クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 午前中は、近隣の牧師たちとデボーションを分かち合う。この分かち合いは牧師だけではなく、牧師の伴侶も伴う。そして聖書を読み、その御言葉が自分をどのように導いてくれるかを分かち合う。牧師は、妻がどんなことを思い、どのような導きを受けているのかを知ることもできる。そして共に祈り合う。他の人が聖書を読み、どんな風に受けとめているのかを聞くことは新鮮に響く。

あなたを導かれる方は/もはや隠れておられることなく/あなたの目は常に/あなたを導かれる方を見る。あなたの耳は、背後から語られる言葉を聞く。「これが行くべき道だ、ここを歩け/右に行け、左に行け」と。

 これはイザヤ書30章にある言葉である。僕はこのイザヤ書の言葉をから、神は、日々、導きを与えてくださる方であると受けとめ、デボーションによる導きを受けることを信仰生活の習慣としている。これを読んだ牧師が、神は、道のない所に、ここを歩けと言われるのではないか、と読み取ったことが印象に残った。道のないところを神が歩くように命じ、神に従った歩くとき、そこに道が生じるのである。とてもいい解釈だと受けとめた。高村光太郎の詩『道程』を思い出す。

僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄(きはく)を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため

 僕自身、デボーション、信徒訓練による教会形成という道を神様の導きと受けとめて歩んでいるので、後ろを見ると道ができているが、前には道がない、ただ神の指し示す方に向かって歩んでいるという思いがある。


 石川地区の青年会もデボーションの分かち合いを行っていて、若い人たちが聖書から、今の自分の対する神の導きを受け取る歩みを始めているのがうれしい。


 午後は、映画を見に行った。『踊る大捜査線 THE MOVIE 3 ヤツらを解放せよ!』。このシリ−ズの映画は、事件の内容は映画ごとに異なるが、登場人物はそれぞれのキャラクターにふさわしい役回りを演じ、それを見て、これでなきゃあ、とこちらが期待している通りの役回りを演じているのを見て楽しむ、そしてお金を出した分、楽しめることを約束されたような映画か。深津絵里が演じる刑事の名前が恩田すみれ。名前がすみれであることにあらためて気がついた。