クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

今日は朝、梨をミキサーにかけてジュースとして飲んだ。おいしい。金沢に来るまでは、梨をおいしいとは思わなかったが、金沢の梨は果汁を多く含み、おいしい。ジュースにするときは、皮ごとミキサーにかける。昼は、ゴーヤとバナナと牛乳を混ぜたジュースを作って飲む。これは健康のため。何日か家に閉じこもって過ごしたので、卯辰山の墓地公園に出かけ、東屋でコーヒーを作って飲む。蝉が鳴いている。


 先日、浅田次郎原作の映画『地下鉄に乗って』を映画で見た。テレビで放映されたものである。見終わってすっきりしないものがあったので、原作を読んだ。そして今、もう一度読み直している。物語の終わりが「終わり」になっていないので、映画を見たときも、中途半端な気がした。原作を最初に読んだときもそうだった。
 主人公は、自己中心的で粗暴な父のいる家を出る。その後は、父とは音信不通の生活を送る。ある時彼は、タイムスリップを何回か経験し、若き日の父と出会うのである。そして父がどんな経験をしたのか、どんな生き方をしていたのかを見るのである。父を理解する機会を得るのである。自分が子供の時に経験した父理解が、狭い理解であったことを知らされるのである。そして今、父は入院している。主人公は、弟を通して、「会いたい」という父の願いを聞く。となれば父と子の和解がなされると期待するわけだが、物語は終わってしまう。感動させるために和解シーンを語ることをしない、それも一つのあり方だと思った。そして今、読み直している。


 『喜びの旅路』(ジェームズ・フーストン)という本も読んでいる。これは息子から紹介された本。以前から買ってあったが、息子から感想を聞かせてと言われて読んでいる。この本の原題は Joyful Exiles 。「喜びに満ちた亡命者」との意味。クリスチャンは、この世に生きていながら、この世の染まらず、この世からの亡命者。亡命者は普通、他国へ行くわけだが、この世にありながら、亡命者として生きる。この世に染まらず、この世の価値観に否を言い、神に従い、神の国を目指す亡命者。この世の価値観とは一線を画し、他者との人格的関係を大切にして生きることを伝える。神を愛し、隣人を愛することを第一の戒めとして与えられている信仰者は、人格的関係を大切にして生きる。人間とは、関係に生きる存在である。しかしこの世は、そのような価値観を持たない。自己中心である。神の国とは、愛が満ちたところ、人格的関係が十全に実現しているところ。そこを目指して信仰者は今日も生きる。深く共感する書物である。